ダイアログ「多様性が許容される社会をつくるには?」 ~ 一人十色な自分を認め、他者への視点交換を通じて、差異を恐れず表現し、問いかけ、対話すること
- インターミディエイター事務局
- 4 日前
- 読了時間: 16分

本プログラムでは、毎月13日に「インターミディエイター・デイ」が開催される。これは、有資格のインターミディエイターたちが集い語らう、Co-learning(コ・ラーニング、共同学習)の時間だ。近況を持ち寄り、課題を深ぼりし、インターミディエイターのマインドセットを振り返る機会となっている。
毎年、3月13日に行われる「インターミディエイター・デイ」には、「多様性が許容される社会をつくるには?」をテーマにダイアログを開催。今年で3回目となる。テーマ提供者は、いぶき福祉会(岐阜県)の和田善行さんだ。自身が多様性について深く考えさせられるエピソードを経験して以来、このテーマにライフワークとして取り組んでいる。この日に参加者たちがダイアログした話題から、内容を抜粋してお届けする。このダイアログのアーカイブを読んだ方々が、多様性を許容する社会とは何か?どうつくるのか?を、それぞれ考えるきっかけとしていただけたら幸いだ。
◆ダイアログに参加したインターミディエイター:
伊藤優さん オフィス・アペゼ代表
黒木萌さん 文筆家/Prison Arts Connectionsメディア・コミュニティ担当
中川桐子さん セレクトライン代表 スモールビジネス・サポーター
和田善行さん 社会福祉法人 いぶき福祉会 協働責任者/事務長
松原朋子 インターミディエイター・プログラム事務局
松原: 今日は3月の「インターミディエイター・デイ」。和田さんからテーマをいただいています。「多様性が許容される社会をつくるには?」をテーマに、皆さんとダイアログしてまいります。
和田: 多様性に目を向けられたら、もっと生きやすくなる方々がいらっしゃると思います。ちょうど3年前から、3月にはこのテーマで、みなさんとダイアログさせていただいています。今年も、機会をいただきありがとうございます。
松原: 3年前とは、世の中も状況が変わってきています。多様性の認識についても変わっているし、皆さんのご状況やお考えも変わっているかもしれません。アメリカではドナルド・トランプによって多様性を排除する発言が始まっているようですが、一方で、「多様性・複雑性の許容と対話能力」は、インターミディエイターの5つのマインドセットのうちのひとつです。今日のこの場では、複雑性の話よりも、多様性の話にフォーカスしていきます。皆さんの考えることを何でもお話ししていただける時間にしたいですね。
中高生が抱える多様性をめぐる課題を、デジタルが支える

和田: ちょうど今日、息子がかつてお世話になった学校の先生とお会いする機会がありました。その方から聞いた話がとてもよかったんですよ。学校現場のデジタル化の話の中で、今は子供たちに一人1台 iPad を提供しているそうです。市によっては、例えば、普段誰にも相談できないことを相談できるボタンが画面の中に用意してあるそうです。どの先生に話したいですか? と、相談先を選べて、自分が気に入った人にメールを送って相談できる仕組みです。今の中学生・高校生は色々なことで悩んでいます。なかには命を絶つことを考える中高生もいるそうです。これに対してもデジタル化が役に立っていると聞いたことは朗報でした。今まで学校の先生に直接は打ち明けられなかったことが、デジタルを媒介に打ち明けることができるようになるのは、これからの可能性だと思いました。
多様性は、認識するこちら側の問題。 複雑なものを複雑なまま認識することが肝要。

伊藤: 私は多様性について、ひとつは「インターミディエイター講座」の資料を読み返していたときに、改めてなるほどと思ったことがありました。それは、多様性とは、認識する側の問題だということ。多様性は、ラベルが外に存在するわけではなくて、あくまで一人一人がどう認識するかによって、多様性が見えてくるのだと思ったんですね。自分も含めて、人はわかりやすいものが好きで、何でもラベリングしたくなるし、単純にとらえたくなります。性別や国など、見えやすいものに目が行きがちです。でも、そもそも一人ひとりは全く違って、本当に複雑です。そういう複雑なものを複雑なまま認識するということがもっとできるようになっていけば、まず自分自身の複雑性の許容力があがるだろうと考えました。
和田: なるほど。
伊藤: もうひとつは、多様性を許容する社会になっていくには、複雑なものを複雑なまま認識するわけですが、これをまずやりたいと思う心が大事だと思ったんです。では、どうしたらやりたいと思う心になるか? 私が最近考えているのは、その人自身が、多様であり複雑である自分の状態をまるっと受け入れられたという体験ができることが、とても大事なのではないかと。ないがしろにされてしまったり、自分のなかの多様性を認められなかったりする状態では、内外に多様性を見つけることは難しいと思います。ですので、そういう体験ができる人を増やす。まずは自分からというレベルで言うと、自分自身を受け入れられるようにする。そして自分も他の人の多様性を受け入れていく経験をどんどん積んでいくことが必要なのかな、と考えています。
多様性の許容は、対話と密接に結びついている
和田: 今おっしゃったような多様性を受け入れる環境をつくっていくときに、どういう働きかけをしていったらいいでしょうか?
伊藤: ”多様性が受け入れられる”ということは、結局、”対話できる関係をつくる”ことと等しいように感じています。私自身が企業やNPOのご支援の中で、対話が生まれる環境づくりのために行っているのは、その人自身が自分の話をきちんと聞いてもらえたと思える場をまずつくることです。
和田: 日ごろから伊藤さんは対話をとても大事にしている印象があります。例えば支援する団体の中で、200人以上のスタッフと対話を行われたこともありましたね。誰にも開かれている機会があり、対話をする姿勢を見せること自体が、もう多様性に満ちている行動になっていると思いました。
伊藤: もし、多様性を見たくない人が仮にいたとしたら、その人自身のなかにも多様性があり、それを受け入れてもらえたと思える経験をつくることが、重要かと考えます。
和田: いいですね。私自身は、いぶき福祉会の活動として、定時職員さん(パートタイムの方たち)との対話を行っています。彼らは学習する機会が限られていますし、話をする機会もなかなか取れないといった中で、定時職員さんが何を考えていて、どういったことを思っているのかを大事にしたいと考えているんです。このような形で、やはり対話することが、多様性を許容することにもつながっていくことを感じています。
関係の網の目の中で、多様性を考え、活かす

中川: 私にとっては、このテーマは一番言葉が出づらい話題で、難しい。先日あるプロジェクトの中で、ある人について、この人はこうだろうと半ば決めつけたような判断をしたことがありました。あれは、多様性を認めたことにならないのだろうか。どこまでが多様性を許容することになるのか。共感はしない、でも、そういうこともあるよねというように受け止めるということはわかるんですが、相手との合意形成が難しい場合などは、どういうふうに考えたらいいのだろうと。いろいろな考え方があることは分かるけれども、私は多様性を許容しているのだろうかって、自問自答してしまいます。
和田: なんていうんでしょうか、桐子さん自体がすごく場を和ませる方ですよね。場をどうやってつくっていくかが、すごく大事なような気がします。頭ごなしに決めつけるとか、命令されるのは嫌じゃないですか。ですので、思いは伝えた上で、その方々とどう向き合っていくか、なんですよね。
中川: 難しいですよね。頭ごなしにでも話をしてくる人に対してはまだ返答ができますが、返事が返ってこないとすると、難しいです。私自身は、初対面の人にも全く臆さないので、誰にでも話しかけていくし、何でも聞きに行くことができるんですよね。全く知らない人のほうに興味があるんです。ただ、そこに境界線を感じてしまうと、すっと引き下がる傾向を同時に持っていて、多様性の許容という意味では、まだまだ開発の余地があるだろうと思っています。
和田: 自分が得意なタイプの人もいれば、苦手なタイプの方もいますよね。そのときに、多様性を認める振る舞いをこちら側から始めることで、“それいいね”という人が出てくると思うんですよね。つながっていくことで、周りも変わっていくことがあると思っています。
松原: そういう場合は、「関係の網の目」で考えたらよいそうです。例えば、もし苦手だったり、深層の物語が異なったりする方がいて、自分の直接的な働きかけではないほうがいい場合、第三焦点にあたる別のCさんを媒介することもひとつのアプローチだということです。別の人を経由して伝えていくなど、関係の網の目のなかで展開すればいいので、直接やらなくてもよい場合があると考えれば、コミュニケーション上の心的負荷が減るのではないでしょうか。
中川: 先ほどあげたプロジェクトを考えてみると、関係の網の目のなかで、最終的には解決していたのだと、振り返りました。私が役割を降りた今でも、他の心あるアクターが代わりに存在していて、それによって依然として信頼関係が保たれています。そういう意味で、関係の網の目によって、プロジェクトが機能して言えるとも言えますね。
受容ではなく、許容。その言葉から受けるイメージは?

黒木: 私にとっても、多様性は、結構大きな、大事なテーマなので、思うところがいろいろあります。まず、この多様性が許容される社会をつくるという言葉を見た時に、もぞもぞってするところがありました。「許容」という言葉がひっかかったんですね。文字面だけ見た時にそう感じたんですけど、実は前提として、あんまり現状で許容されてないんだなということが感じられて、この言葉がつけられたんだなということを思いました。実際それは私自身も色々な面でそうだと思うんですね。
もうひとつは、実際に辞書をひいてみたら、“ここまでは構わない、やむを得ないと認めること”と書いてあったんですね。なんていうか、積極的じゃないというか、譲歩するというイメージが強い言葉なのかなと、別の言葉の選択肢もあるのかもしれないと思いました。
松原: ああ、なるほど。インターミディエイターの5つのマインドセットのひとつに「エンパシー能力」があって、インターミディエイターは、共感力を発揮していくことになります。つまり、視点交換するのですが、共感力の高い人にしばしば起こるのが、相手が深く自分の中に入りこんでくる経験です。インターミディエイターは物事のあいだに立って、どちらかに与するのではなく、未来に与するわけですが、その際、適切な距離感を保つために、「受容」より「許容」という言葉が選ばれているのだなと、考えたことがありました。ここで「許容」という言葉が選択されていることが、むしろすごく納得だったんですよね。
和田: 僕も「許容」という言葉を知った時に、受容と許容の違いを感じたんですよね。受容って、結構重たいなって思ったんですよね。よく障害福祉の分野では、障害受容という言葉がよく使われます。なかなか親さんが障害のある我が子を受容ができないとか、受け入れ難いとか、そういう状況があって、そうなると、生活のしにくさが出てきたりする問題があります。「受容」という言葉を使うと、本当に重たくて、本当に受容できるかってなると、できないことだらけというかですね。一方で、「許容」という言葉を使うことで、差異を認めることはできるようになるという印象があります。「受容」ではなく、「許容」という言葉によって、ある意味、差異を認める度合いが重くならないというか。そう考えると、「許容」という言葉は、すごくいい言葉だなという感じがして、今では、許容という言葉をよく使うようになりました。
黒木: そうなんですね、なるほど、背景がよりわかってきました。
自分の中の多様な面を表現することが、誰かの学びや助けになる

黒木: もうひとつありまして。自分自身の多様性と出会った経験として考えた時、私の多様性の原点は、障害のある姉だったんですね。多様性というと、色々な人がいるようなイメージがざくっとあったりすると思うんですけど、それよりも、この目の前の一人の異質な他者との強烈な出会いのようなものがありました。この人は一体何を感じているんだろう、考えているんだろう、どんなふうに景色が映っているんだろうと考えることで、ちょっとずつ、自分とおそらく違う人がいることを認識しました。それと、父が芸術家で、水彩版画をする人なんです。宮崎県の延岡という田舎で水彩版画をする人は珍しいので、結構生きづらかったりしたのかなと思います。多様性という時に、私は2人のことが頭に思い浮かびます。
それらのことはエッセイにも書いたんですけれど、表現することって大事だなと思っています。例えばLGBTQの子供たちが、LGBTQの大人の姿を見て、勇気をもらったりすることがありますよね。同じように、自分がまず、自分の中の多様な面を表現したり、出したりすることで、例えばそれがこの世の中で生きづらさを感じている誰かに伝わったとしたら。表現していなかったら、それが伝わらないじゃないですか。だからまずは、自分のなかの、排除されがちな側面みたいなものを、勇気を持って表現してみる。遠回りかもしれないけれど、そうすることで、誰かの多様性を許容し、包摂することができるのではないかと考えていました。
松原: 私も黒木さんのエッセイをkindleで読ませていただきました。黒木さんは、表現する方だけありますね。何か自分の隠したいような多様性があるとしても、そういうものも含めて表現していくと、誰かにとっての学びになったり、役に立ったりする、という考え方がすてきです。ただ、なかなか皆さん表現することに向かっていかなかったりするじゃないですか。黒木さんのそういう姿勢は、学びとりたいと思います。インターミディエイターの活動を、これまでもナラティブにして掲載してきましたが、それを読んだり聞いたりすることで何か勇気づけられたり、エンパワーされたりすることがありますよね。
和田: 多様性との最初の出会い、いいですね。僕は大学生の頃ですが、障害のある方との最初の出会いを思い出します。障害のある方も、そうでない方も、同じ感覚を持っていますよね。例えば楽しいと思えば楽しい表情をしたり、つまらないと思えば本当につまらない顔をしたりします。同じやなと思って。喜怒哀楽がすごくはっきりしている方もいます。そういう部分がすごく人間らしいなって、逆に思ったんですよね。自分たちって喜怒哀楽を出せなくて閉じ込めちゃう場面もあるんですが、彼らの場合、そういう部分がなくて、すごくいいんですよ。今も障害のある方々とお付き合いをさせてもらっている感覚でいえば、多様性は色々なところに転がっているというか、在るというかですね。自分の気持ちの持ち方次第でとらえ方が変わってくるなと。先ほどの伊藤さんが言っていた、こちら側の認識の仕方ですね。
中川: 一人の人間でも、時と場合によって表現することが変わりますよね。要するに、「一人十色」で、一人のなかに多様性がありますよね。職場の私、この場の私では、使う言葉も違いますしね。それでいうと、私はこのインターミディエイター・デイが大好きなんですよ。それは、ここでは自分が好きな自分でいられるから。ここでしゃべっている私は、自分が好きな自分なんですよね。友達によく、面白くない時とか、怒っている時には全部顔に書いてあるよと言われます、自分では隠しているつもりなんですが(笑)。でもここに参加することは楽しみで。インターミディエイター・フォーラムも。私の癒しなんですよね。学びと言いつつ、癒しです。だから続けていられます。
和田: 学びがあるところって、すごく楽しいですよね。
自分の中の“べき”をいったんわきに置き、しなやかに問いかけ、対話する
松原: そういえば、先日、和田さんと、同じくいぶき福祉会の業務執行理事である北川さんとでお話しする機会がありました。そのときに、北川さんが、“べき”という考え方をやめてほしいというお話をされました。“こうすべき”と思っちゃうと、もうそこから変われないし、学べない。もっと柔軟な気持ちでいたいと、おっしゃっていました。というのも、この“べき”という気持ちが強すぎると、対話にならないんですよね。対話相手に自分の“べき”を求めると、しばしば誘導尋問のようになってしまいます。対話とは、お互いが生成変化していくプロセスじゃないですか。多様性を考える時、強い“べき”を一旦横に置いておくほうがいいのだなと考えていました。自分自身が柔軟性をもって、しなやかになるということが大事かと。
和田: 何々するべきってなっちゃうと、そこには多様性が生まれないんじゃないかな。というのも、同じようにするべきとは感じない人もいるわけで。やはり色々な人たちの価値観を合わせていくというか、認めていくという時には、“べき”ではなく、“これってどうなの?”と、問いかけることから対話につなげていきたいです。やはり「対話」、つまり「問答」が大事だなと。
伊藤: そうですね。多様性が許容される社会をつくるには? と考えると、二つあります。ひとつは、今日の皆さんとのダイアログを通して、思ったことなのですが。それは桐子さんがおっしゃったことと通じるのですが、自分自身がある程度、“自分って結構いいじゃん”と思えている状態であることを目指すということがあるのかなと思いました。というのは、なぜ自分や人に対して“すべき”と考えてしまうかというと、私は自分に自信がなかったり、不安が強い時に “べき思考”になるなと思っていたんですよ。もっと自分を緩めるというか、緩やかに、自分の中の色々な面があっても、ここは結構いいじゃんって思える状態を目指すのはありだなと思いました。それともうひとつ、外に出したら変だと思われるかもしれないことも、出して表現してみること。これは自分もやってみたいと思いました。
黒木: 今日のテーマの、多様性が許容される社会をつくるには? ということについて、短絡的にこれが答えだ、みたいなことはもちろんないんですが、関連して思い浮かんだのが、プリズン・アーツ・コネクションズの活動です。刑務所の壁の内側と外側を、アートを媒介に結んで、対話をしていこうとする取り組みなんですが、そこでメディア運営やコミュニティづくりを担当しています。

運営しながら、まずは仲間づくりから始めたらいいなって思ったことがありました。自分が近しいと思う間柄でも、他者である以上、思いがけない反応が返ってくることがあると思うんです。そういうときこそ、理解していくようにして、仲間づくりを広げていけたらいいのかな、なんてことを思ったりしていました。活動には、実に様々なタイプの人たちが関心を寄せてくださっていて、5月24日から6月14日まで、墨田区で第3回の刑務所アート展を開催します。一人ひとりの違いを超えて、対話を生み出すことを目指しているものですから、ぜひ遊びにいただきたいです。

和田: 設樂先生いわく、「多様性とは差異の集合」で、また、許容というコンセプトについても認識の拡がる話ができたのがよかったです。また来年も集まりましょう。
文:松原朋子
Comments