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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

  • 執筆者の写真インターミディエイター事務局

徳島で花開いた、ポスト・パンデミックの働き方 - Dialogue with Intermediators #3 イベント・レポート

更新日:2023年3月20日


2022年11月29日に、インターミディエイター3人によるダイアログ・イベントを開催。鈴木悠平、星野晃一郎、峯岸由美子
2022年4月16日に、インターミディエイター3人によるダイアログ・イベントを開催。

COVID-19のパンデミックは、世界中の人々の暮らしを大きく揺るがしました。これまでの生活、これまでの働き方、これまでの人生でよいのだろうか、と、自らに問いを投げかけた人も少なくなかったのではないでしょうか。


今回の記事では、そんな「ポスト・パンデミックの働き方」を語り合ったダイアログの様子をレポートします。競合に勝つための数値目標を追い求める組織から、地域の人々と協働した課題解決をミッションとする組織へ。コードを書くだけが自分の仕事だと思っていたプログラマーが、技術者と顧客の対話の担い手に。地域やビジネスを取り巻く環境が変化するなかで、「あいだ」を媒介して新しい価値を生み出そうとするインターミディエイターの物語をお届けします。スピーカーは、富士通Japan株式会社徳島支社長の濱上隆道さん、株式会社ダンクソフト開発チームマネージャーの竹内祐介さん、設樂剛事務所 業務執行役員 松原朋子さんの3名です。



table of contents



コロナ禍で見つけた、これからの「地域」のあり方


濱上隆道さん:

濱上隆道さん

富士通Japan株式会社 徳島支社長をしております。私は、1991年に富士通に入社して以来、東京本社で29年間、大手の製造業を担当してきました。そこから一転して、2020年4月には地域の公共サービスを担うべく徳島支店に転勤となりました。現在、3年目になります。

東京での29年間は、「売上をいくらあげるか」というスケール・ゲームに勝つことだけを考えてきました。競合との価格差や機能差、仕様書の適合率などを意識して、「いかにシェアを取るか」を追求するのが優秀な営業マンの姿だと思っていました。

ところが私が徳島に赴任したちょうどその頃、ご存知のようにコロナのパンデミックが起こります。住む場所も社会の状況も変わって、私はみずからに問いを立てて考えることになります。「この先、経済はどうなるんだろう」「世界はこのままでいいのだろうか」「いままで私たちが提供してきた価値は、社会的価値になっているんだろうか」などと、来し方行く末を考えました。

そして決意したんです。「自分たちが地域にいる以上は、地域の課題解決を本業にしよう」と。そこで2020年11月に、富士通徳島支店(当時)のステートメントを発表しました。そこでは、「私たちはPCを売る会社でもなく、単にシステムを構築するだけの会社でもない。徳島という地域の課題解決のために富士通の価値を提供して、それを本業とする会社である」というフィロソフィーやミッションを社内外に宣言しました。

いまは、地元の自治体や大学、地銀の方々と、定期的に対話しながら、地域の課題解決プロジェクトを立ち上げて活動しています。



ダイアログ当日の資料から抜粋。徳島に赴任し、インターミディエイターという概念に出遭った濱上さんの課題意識。
ダイアログ当日の資料から抜粋。徳島に赴任し、「インターミディエイター」という概念に出遭った濱上さんの課題意識。

徳島支社長として、支社のステイトメントを作成。詳しくはnoteへ。
徳島支社長として、支社のステイトメントを作成。詳しくは note (https://note.com/fjj_bizan_pj/)へ。


生まれ育った故郷で働くエンジニアとして


竹内祐介さん:

竹内祐介さん

僕は株式会社ダンクソフトという会社で、開発チームのマネージャーをしています。転勤で徳島に来られたという濱上さんとは違って、私は徳島生まれの徳島育ちです。1978年生まれで、43歳になりました。2児の父です。東京大学卒業後の2002年、地元徳島に帰って、地元のソフトウェア会社に就職するところからキャリアが始まりました。

転機となったのは、その10年後です。結婚をして、初めての子どもが生まれるというタイミングで東京転勤を言い渡されてしまったんです。悩みましたが、いったん会社を辞めることにしました。転職先を見つけるまえに辞めたので、一時的に無職の状態になったんですね。子どもが生まれたばかりで無職となると、親族から心配されることもあり、しんどかったのをよく覚えています。

1ヶ月の転職期間を経て、いまの会社で働き始めました。その頃ダンクソフトは、東日本大震災後に、徳島でサテライトオフィスの実証実験をしていたんです。それをたまたま知り、徳島オフィスの常駐社員として雇ってもらえるように、星野社長に直談判をして入社しました。

ここでは開発チームのマネージャーを担っています。プログラマーとかシステム・エンジニアと呼ばれる人たちが所属してサービスを開発・改善するチームですね。いまはそのほかにも、徳島県の阿南工業高等専門学校で非常勤講師もしています。週に1回、情報コースの生徒に向けてプログラミングや、オペレーティング・システムについての授業を行っています。地方と都会、企業と学校などのあいだに立って、新しい働き方の普及ができればと考えています。



名もなき「調整役」こそ成果をつくる


松原朋子さん:

私は現在、インターミディエイター・プログラムの事務局として、設樂剛事務所で働いています。前職は、日本マイクロソフトのCSR部門におりました。私の役割は、他部門の担当者と連携しながらCSRチームをリードしていくというものでした。たとえば、それぞれのチームが持っているビジネス・アセットをまとめてパッケージ化して、全国の自治体に提供する地域活性化協働プログラムを企画し、徳島県も含む全国の数カ所で、県との協働プロジェクトをいくつも立ち上げていました。

そのなかで、成果は大きくあがりました。私の在籍中に、CSRチームが世界No.1として2回表彰されました。これはもちろんCSRチームだけでなく、社内全体との協働の成果です。うまく協働できたからこそ世界一になれたのだと思います。また、さきほど申し上げた地域活性化協働プログラムについては、私が退社したあと、後任の方が成果をまとめて日経ソーシャルイニシアチブ大賞に応募しファイナリストを受賞したようです。

このようにさまざまなチームと連携した成果がこれほど評価されていたのにも関わらず、チーム間の協働をうながすインターミディエイター的な人がいるからこそ成果が出たのに、そういう人は「調整役」としてしかみなされなかったんです。

さらにいえば、厳しい数値ゴールを掲げ、競合他社にどうやって勝つかを目的とする戦略論一辺倒のなかでは、心身を壊す人たちもたくさんいました。けれども、そういう人たちは「ただ弱かっただけ」と。人間の存在を大切にしない株主資本主義への違和感がふくれあがってきました。株主資本主義は、株主のために会社が利益を出すことが前提。四半期ごとの財務統制が厳しく、中長期的な投資が必要なCSR活動もなかなか難しいということを実感しました。

そこで会社を退職することになります。その頃は「インターミディエイター」という概念を知らなかったのが悔しいですね。当時知っていたら上司に対して「ただの調整役じゃないんです」「インターミディエイターこそ次を切り開いていくんです」と話ができたと思うのですが……。



リーダーとインターミディエイターの違いとは


それぞれの活動内容や課題認識を共有したあとは、ダイアログも弾みます。参加者の方から「いい笑顔ですね!」とコメントをいただくほど穏やかな雰囲気のなか3名は語りだします。


松原さん: インターミディエイターという概念は「リーダー不要論」からスタートしています。リーダーの最小定義は「人の前か上に経ってリードして、振り返るとフォロワーがいる」というものだそうです。こういうリーダーに頼ると、何も考えないフォロワー(指示待ち人間)が生まれてしまってイノベーションが起こりにくいという弊害がありますね。

濱上さん: 竹内さんは、開発チームのマネージャーとして働いておられるとお聞きしました。エンジニアのチームの場合、腕に自信のあるリーダーが自分のやりかたを押し付けてしまってよくない状況に陥ってしまうこともありますが、竹内さんはどんなところに気をつけておられるんでしょうか。リーダーとマネージャーの違いはどう感じておられますか。

竹内さん: もしかしたら昔は「リーダーがいちばん物知り」でグイグイみんなを引っ張っていく組織でも大きな問題がなかったのかもしれませんが、今はそうではありません。エンジニアリングやプログラミングの技術も多様になってきているからです。新しい技術は、僕よりも若手のほうが詳しい場合もある。だから僕としては、みんなを引っ張るリーダーというよりも、みんなで一緒に勉強していくマネージャーというスタンスで働いています。

濱上さん: インターミディエイター的な動き方を意識しておられるところはあるんでしょうか。

竹内さん: 大いにありますね。ダンクソフトの開発チームは、プログラミングだけが仕事ではないんです。ダンクソフトという会社は20数名の中小企業で、開発チームは4、5名。この規模感だと、お客様のところへ行ってお話するのも私たちです。企画からヒアリング、提案、それに開発後のサポート、更新、アップデートまで、幅広い業務内容に対応しています。そうすると、お客様に対して技術用語ばかりの「エンジニアの言葉」だけで話すわけにもいきません。お客様と技術者のあいだに立って仕事を進めています。

松原さん: エンジニアだけの領域で働くエンジニアと、お客様ともコミュニケーションが取れるインターミディエイター的なエンジニアでは、仕事の進め方に大きな違いがありそうですね。

竹内さん: 僕はいまの会社に来てから、ガラッと働き方が変わったんですよね。以前勤めていた会社は社員が700名程度で、その8割ほどがプログラマーでした。プログラマーはプログラミングに専念していて、お客様に会うことはありませんでした。だから、10年間で配った名刺は10枚。しかもそれも、技術者たちの集うイベントに出向いたときに配ったもの。

それがあたりまえの世界にいたんですが、ダンクソフトに入ったら違いました。入社して1年も経たない内に、100枚の名刺を使い切りました。同じ職種なのに、求められるスキルや行動がこんなにも違うのか、と思った記憶があります。



誰もが「インターミディエイター」としてのポテンシャルを秘めている


松原さん: 竹内さんはエンジニアでありながら、お客様の立場も考えるという多元的な思考のもと、チーム・メンバーとも対話をしながら働いておられるんですね。でも、インターミディエイター講座にいらっしゃったときは、「現場の人間には必要ないことではないか」って思っておられたとか。 

竹内さん: 当初は、インターミディエイターとしての能力って、経営判断する人に必要なものだと思っていたんですよ。でも「経営者が判断すればいいじゃないか」という気持ちって、経営者をリーダーとして捉え、自分をそれに追随するだけのフォロワーと考えているから生まれるんですよね。いまはもう、経営者がすべてを決めるという時代は終わって、経営者と社員たちが一緒に考えていかなければならないと気づきました。

それに、ある意味、僕たちは全員インターミディエイターだと思うんです。インターミディエイターって「異なる人やモノのあいだに立つ人」のこと。人間として生きている以上、人とまったく関係をもたずに生きていることなんてないですよね。

濱上さん: 私も徳島に来て、意識が変わりました。東京で大きな製造会社のお客様を担当していましたが、いまは自治体や病院といった公共サービスのお客様とお仕事をすることが多いんです。そうすると、対話の仕方も変わってきます。いままでは、“お客様と提供者”という対立的な関係でしたが、それが徳島では同じ目的に向かって進む”パートナー”でありたいなと感じています。

東京にいると、「シェアを◯%にするんだ」という言葉が飛び交っていて、それがビジネス・パーソンとして正しい姿なんだろうって信じこんできたのですが、ここになって方向転換が出来た気がします。



地方には「なにもない」のか


竹内さん: 地方には、やはり問題もあるんですよね。僕がいちばん問題だと思うのは、「徳島の魅力は何ですか」と問われても答えられる人が少ないことです。徳島県に住んでいる人は、若者も含めて「いや、なんにもないよ」って答えてしまう人がほとんどです。

濱上さん: 竹内さんはどんなものが徳島の魅力だと思われますか。

竹内さん: 一番の魅力は、海と山と川がぜんぶ近いというところだと思います。海でも山でも川でも、車で10分20分走ったら着ける。この距離感の近さは他にはないところです。

濱上さん: そのとおりですね。徳島市内はフラットでコンパクトで、暮らしやすいですしね。僕としては、源平合戦の舞台になったとか、そのような歴史があるのも魅力です。

松原さん: すごくいいところがあるのに、それに気づかない方が多いのはもったいないですよね。

濱上さん: 地域のみなさんとプロジェクトを立ち上げるとき、多くの方々は地域の課題を見つけるところからスタートしているんですが、もしかしたら魅力を先に発見したほうがいいかもしれないですね。インターミディエイターとして、“徳島の語り方を変える”というアプローチも考えられるかもしれません。

徳島の風景
濱上さんが徳島に移り住み、ここそこで撮影した徳島の風景

「機能する小さなチーム」が成果を握る


竹内さん: 富士通の濱上さんにお聞きしたかったのは、大企業と中小企業って何が違うんだろうということです。どんな違いがあると思われますか。

濱上さん: そのことはこの2年間、よく考えていました。結論としては、規模が違うだけのように感じます。大企業だから担うべき使命が大きいとか、会社が小さいから役割が小さいというわけではまったくないですね。

とくに地域の課題解決に取り組んでいると、中小企業の経営者の方やベンチャー企業を経営する若い方によくお会いします。そのような方々に、僕たち大企業が敵わないところは多々ありますね。

竹内さん: 一般的な話だと、大企業は一人ひとりの仕事が専門的になり、中小企業だとそれぞれが多くの領域をカバーする必要があると言われていますよね。

ダンクソフトは「ポリバレント」という言葉を大事にしています。これは、状況や場面に応じていろいろなことができる人のことを指します。かつてサッカーでは、フォワードはフォワード、ディフェンスはディフェンスと、選手の役割が固定しているのが普通でしたが、オランダのあるチームが「みんなで攻めるし、みんなで守る」という、それまでの常識を覆す方針を打ち立てたんです。チーム・メンバーがポジションを固定せず、柔軟に動けるほうがチームとしては強くなると思っています。

僕は働き始めて20年のなかで、プログラミングだけをやっていた10年間と、それ以外の業務を幅広く手掛ける10年間の両方を経験しています。いまはたしかにプログラミングのスペシャリストとしての伸びは鈍化しているかもしれませんが、チーム全体としてはポリバレントなほうが強いと思っています。

松原さん: 設樂剛先生によると、機能するチームをたくさん持っている会社がこれから活性化していくとのこと。会社の規模が大きいか小さいかということよりも、クリエイティブに機能するチームをいかに持っているかが重要なんですね。「クリエイティブ・ワークチーム」と言いますが、インターミディエイターがチームを活性化させます。



ダイアログを終えて


参加者からは「会社内の組織と組織のあいだや、社内と社外のあいだなど、なにかの『あいだ』に入るときに、工夫されていることを教えてください」と質問が上がり、濱上さんからは「二項対立にならないように意識しています。お客さんと提供者という一対一の関係なら、そこに3つ目、4つ目の視点を共有するようにします」と、多元的思考の重要性について、コメントがありました。

竹内さんは、「AとBという両者のあいだに入るとき、そのちょうど中間地点にCを置かなくてもいい。AとBを無理にくっつけようとせずに、そのままで引き立たせるような方法を考えています」と、多様性・複雑性を許容するマインドセットに言及されました。

徳島県で活動する2名のインターミディエイターは、会社と地域をつなぎながら、地域のみなさんと手を携えて活動しています。東京をビジネスの中心とせずとも、そして、数字を闇雲に追い求めなくとも、成果を上げる「協働」を前提とした働き方が、そこにはありました。ポスト・パンデミックには、地域の課題解決のために働くことこそが、ひいては人類の未来、地球の未来をつくることになるのかもしれないと思わせる対話でした。

執筆:梅澤 奈央





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