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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

「地域イノベーション」は、多様な人々とのCo-learningから始まる ── 濱上隆道さんインタビュー

  • 執筆者の写真: インターミディエイター事務局
    インターミディエイター事務局
  • 8月28日
  • 読了時間: 22分

更新日:9月6日


濱上隆道さん(富士通株式会社、インターミディエイター)


ビジネスを含め、およそ人間の共同社会は「関係の網の目」の中で成立しています。とりわけ、「人間・機械・自然の協働」は、人類共通の重要課題です。

だからこそ、その「あいだ」に立って、破壊され、毀損され、失われたリンクの数かずを修復、再生、再創造するモノやヒトが必要です。「あいだの知」を担う媒介役を 「インターミディエイター( intermediator )」といいます。誰かの上か前に立とうとする “ 強いリーダー ” ばかりを探し求める人にとっては、じつに見えにくいタイプの存在です。


本連載では、この「インターミディエイター」の考え方に通じるプロジェクトや展望をお持ちの方々をお招きし、お話をうかがっていきます。


第4回は、「インターミディエイター」(有資格者)として活躍する、濱上隆道さんとの対話です。



[プロフィール]

濱上隆道さん

富士通株式会社

CEO室 DX Division

シニアマネージャー

 

29年間の東京本社での勤務を経て、2020年4月より徳島に着任。これまでの製造業担務から地域での公共サービスを中心にマーケティング、ビジネスプロデューサーとして活動。これまで経験のしたことのない領域へのチャレンジをはじめ、「地域課題解決型ビジネス」のプロジェクトを立ち上げ活動を開始。徳島県の方々とのコミュニティづくりを重ね、開かれた対話を通じた地域イノベーション創出に寄与。2023年4月からCEO室にて、徳島県神山町に新設された神山まるごと高専の協働推進担当に就任。



29年の東京勤務から徳島支社長へ。偶発性を機会に。


── 今日は徳島にいらっしゃいますか?

濱上隆道さん

濱上: そうです。オンライン会議の背景にしているのは、徳島の神山町にある神山まるごと高専の画像です。今、私自身、神山に住んでいまして、学校から7、 8キロは離れていますが、山あいで川が近くにあるところにいます。


── 濱上さんは富士通にお勤めで、数年前、徳島支社長に大抜擢されて徳島に赴任されたと伺っています。


濱上: そうですね、富士通に入社してから29年間、東京で大手製造業のお客様を担当する営業部門に所属していました。長く同じ部署にいたこともあり、異動リストにはずっと名前が載っていて、僕自身もいつか異動するだろうと思っていました。そんな中、2022年、コロナ禍のタイミングで、地域拠点長の候補として声がかかり、製造業担当部門からの人材として異動が決まりました。実はずっと「異動するなら本社内で」と希望していたのですが、結果的に新しいチャレンジの機会をいただくことになりました。


── 全く予想外の場所への転勤だったのですね?


濱上: 当時、異動先として九州か四国のどちらかになるだろうという話はなんとなく聞いていました。選択権はないと言われていたのですが、「行くとしたら九州がいいです」と希望は伝えていたんです。ただ、結果的にはその願いは叶わず、四国への異動となりました。


── それを聞いて、徳島の皆さんは微妙な気持ちになっているかもしれませんが(笑)。では、希望をしていなかった方の四国、そして徳島という場所で、ゆかりがあった土地ではないわけですね。


濱上: 兵庫県出身で、高校まではずっと兵庫で過ごしていましたので、いつも天気予報には徳島の情報も出ていたんですよ。そういう意味では、四国も自分のスコープ内には入っていたのかなと思います(笑)。


── そんな徳島に赴任が決まられたわけですが、徳島支社長の時代のお話を少しお伺いできますか。どのような任務で着任されたのですか?


濱上: 徳島支社長として赴任した当初は、支社長としてのマニュアルに沿った振る舞いが求められていました。ですが、ちょうどコロナ禍と重なり、そのルールもほぼなくなってしまいました。加えて、病院や自治体など公共サービスを担うお客様への挨拶もできず、東京時代のビジネス規模とはまったく違う環境に戸惑いを感じました。さらに、徳島支店は全国で最も小さな拠点で、翌年には香川支店に統合される予定だと知らされ、先行きに不安を覚えたのを記憶しています。


── いきなり厳しい状況が待っていたのですね。


濱上: みなさんに着任おめでとうと言って送り出してもらったのに、着任日の翌日にそういうことを言われて、「これって、もうやめてってこと?」と、戸惑いましたね。でも、どうせ終わるのならと覚悟を決めて、新しいことに挑戦しようと切り替えました。富士通の製品を売るという従来の営業スタイルから、地域の課題をお客様と一緒に解決するというアプローチに切り替えたんです。富士通で重視していたデザイン思考を活用しながら、お客様との対話を重ねるうちに、“そんな課題に取り組んでいたんだね”、“その課題の根本はこういうことだよ”、“それならこんな人を紹介するよ”など、話がどんどん広がっていきました。気づけばお客様と、提供者と発注者という二分法を超えた、新しい関係が築かれていたんです。そんな関わりを、3年間続けてきました。



一方向のセールス活動をやめて、お客様との対話により、地域課題の解決を目指す


── 濱上さんが「インターミディエイター」の考え方に出会われたのは、ちょうどその頃でしたか?


濱上: そうですね。これからのビジネスの考え方、つまりそれは、一方向の売り込みではない、関係づくりを基調にした対話によるビジネスのつくり方でした。徳島へ4月に赴任した後の12月頃でしょうか。富士通の公共部門で行われたイノベーション型人材育成の一環で、設樂先生からお話を伺いました。社内SNSでたまたま記事を見て、ちょうど徳島でビジネスを変えようとしていたところだったので参加しました。それで、すごくびっくりしたんですよ。


── どんなところにびっくりされたのですか?


濱上: ちょうど僕がやろうとしていたこととすごく親和性があったんですよ。例えば、お客様と対話をしていこうということが、まずそうでした。東京で長らく担当していたビジネスはスケールだけを求めていました。そのためには競合相手よりも少しでも優位になるというゲームだったんです。けれども、受講したそのプログラムでは、もう全くそれとは正反対で。それを従来型と捉えて、新しいやり方、今のやり方は対話によるビジネスだと位置づけていました。これは自分がやろうとしていることのヒントになる、これはすごく大きなベースになるんじゃないかと、最初にそう思いました。


── スケールということについて、もう少し聞かせてください。


濱上: スケールを求めていた頃のビジネスでは、いかに短時間で効率よく形にするかが重要だったんですよね。トップの方針があって、それを上意下達で実行する。強いリーダーがいて、フォロワーがいる――そんな関係でした。

でも、それってイノベーションがすごく起きにくい環境でもある。効率を求める時代から、今はもう時代が変わって別の価値を考えていくときだと。強いリーダーがいればフォロワーが生まれるし、フォロワーがいればリーダーもできる。そういう時代じゃないんだって話を聞いて、“あ、まさしくそうだな”と思ったんですよね。

だから、組織のあり方も変わるべきだとすごく感じていて。支社長になったときも、できるだけ支店のメンバーとは、役職にとらわれずに目線を合わせた関係を築いてきました。肩書きではなく、ちゃんと向き合える関係をつくりたい。そういう組織の方が、きっと面白いことが起こせると思うんです。


── 企業の中では、まだまだ「議論」とか「ディスカッション」などの言葉は多く聞くと思うんです。ただ、「対話」という言葉は、まだなかなか出てこないのではないでしょうか。先見の明がおありでしたね。


濱上: 対話の定義はきちんとできてはいなかったんですが、幼少の頃から周りが対話ということを普通に使っていたんですよね。



スタッフとの対話、知事との対話、お客様や地域との対話をやり抜く


── 濱上さんは、有資格インターミディエイターの皆さんのあいだで、“対話の濱上”の愛称で呼ばれていますね。では、3年間の支社長プロジェクトの中で、対話的に進めた活動の成果はいかがでしたか?



濱上: 小さいようで大きかったのは、会議の名前を変えたことですね。例えば、何も考えずに戦略会議と呼ぶのですが、戦略という言葉はもともとは戦争用語です。ですので、戦略といわずに、○○カンファレンスというような呼び方にしました。そして、一方通行の会議ではなく、みんなで意見を出し合って、対話を重視する会議体にしました。よくあるセールス部門の会議では、上の人が方針を出してこうやっていきましょうといい、下が従う、そんな会議を思うんですが、そういう会議をやめました。例えば、今年どんな活動していこうかとか、何を大事にしていこうか、3年後はどうしようか、など、みんなでワークショップのスタイルで話すパターンを増やしました。


── 周りの方々からの反応はいかがでしたか?


濱上: 割とみんなが面白いことをやり始めたね、と思っていたのではないでしょうか。僕は県外から来た人間ですが、メンバーには徳島県内の人もいたので、一緒に課題をバーっと洗い出して、どう地域課題を解決できるかを話していくと、本気でやろうとしているんだということは伝わったようでした。お客様には、逆に様々なアドバイスをもらったり、一緒に活動してくれたり、そういう関係ができましたね。


── 徳島県知事との対話の会を持たれたことも、成果のひとつでしょうか?


濱上: 前徳島県知事になりますが、地域課題に本気で取り組むなら、定期的に会話しようという話をいただきました。1時間半ぐらい、3ヶ月に1回程度の頻度で対話をしましたね。全国の拠点で、そういう活動をやっている拠点は他にはなく、社内からも珍しがられて評価されました。


── それ以外にも、様々な成果が生まれたのだと思いますが、徳島は新しいことを受け入れられる風土だったのですか?


濱上: 徳島という土地柄もあるかもしれませんが、徳島はどちらかというと、皆さんが新しいことを始めている印象がある地域ではあります。食べ物ももちろんおいしいのですが、その前に、人がすごく良いんですよね。徳島の魅力は、やっぱり「人」だと思います。


▶参考 濱上隆道さんが徳島支社長として取り組んだ、地域課題・地球課題解決のためのBIZAN PROJECT(note.com)


濱上隆道さん、上杉公志さんが対話する様子
インターミディエイター・フォーラムにて、参加者同士対話する様子


告げられたポストオフから一転、最も新しい注目プロジェクトの担当に


── 支社長を3年間なさった後、今度はずいぶんと新しいプロジェクトに関わることになりましたね?


濱上: 拠点長としての任期は3年と聞いていたのですが、2年半を過ぎた頃に突然「4年目はありません。ポストオフです」と告げられました。つまり、役職を外れた後は自分で次のポジションを探す必要があるという、新しいルールがつくられたんですね。富士通では社内ポスティング制度が導入されていて、希望部署に履歴書を出して選考を受ける仕組みなんです。

「どうしよう…」と、徳島に来た時と同じような気持ちになりながらも、社内外で動き始めました。転職サービスにも登録して、10社くらいと話しましたね。そんな中、ある役員の方から「神山につくられる高専に10億円を出資することになった。プロジェクトのリードをお願いしたい」と声をかけていただきました。いくつか選択肢がある中で、最終的にその新しい挑戦を選ぶことにしました。


── 神山まるごと高専プロジェクトを少しご説明いただけますか?


濱上: 神山まるごと高専は、徳島県神山町に2023年に開校した私立の高等専門学校です。名刺管理サービスで有名なSansanの社長である寺田親弘さんが、10年ほど前に神山にサテライトオフィスを構えたことがきっかけで、「起業家が欲しいと思った学校をつくる」という構想が実現しました。

”テクノロジー × デザイン × 起業家精神”を軸に、5年間で起業家マインドを育てる学校です。学費は年間200万円と高額ですが、経済的なハードルを下げるために「スカラシップパートナー制度」を導入。富士通、ソニー、ソフトバンクなど11社がそれぞれ10億円ずつ出資し、運用益で奨学金を支える仕組みです。各社の名前を冠した奨学生が毎年4名ずつ所属し、企業との協働を行っています。富士通も、毎年4名ずつの奨学生と活動をしています。


徳島県神山町の風景
濱上さんのSNS(x.com)には、たくさんのすばらしい神山町や徳島の風景が掲載されている

地域密着型の課題に対し、神山町民となって、学生とともに提言活動


── 富士通の社員がグローバルで13万人いる中で、このポジションにいらっしゃるのは濱上さんただ一人。最先端の場所に大抜擢されたと思いますが、担当者として、具体的になさっているのはどんな活動ですか? 


濱上: 富士通が提供する活動時間は、学校の授業とは違って放課後に行われる自由度の高いプロジェクトが中心です。授業はシラバスに沿って進みますが、こちらは「何でもやっていいよ」と言われるくらい柔軟です。富士通の事業と学生の興味がうまく重なるテーマが歓迎される雰囲気です。

たとえば、神山町の交通課題に取り組んだプロジェクトがあります。町営バスが廃止され、代わりにタクシーを使うことになったんです。しかし、これによって予算が2~3倍に膨れ上がってしまったんです。「これではサステナブルじゃないよね?」ということで、タクシーのトリップデータを使ってAIで分析。乗り合わせや待ち時間の工夫でコストを抑えられないかを検討し、町長に提言しました。


── 神山町の生活課題に寄与するもので、いいですね。


濱上: もうひとつのプロジェクトは、富士通だけでなく、11社のパートナー企業のひとつ、デロイト トーマツ コンサルティングと一緒に取り組んだもの。こちらのテーマは神山町の農業課題です。


神山町は「すだち」が有名なんですが、農家さんには様々な悩みがあるんですよね。僕らはその現場に入り込んで、農家の方や学生と対話しながら、「どうすれば一次産業を持続可能にできるか?」っていうのをずっと考えてきました。交通課題のときと同じく、学生も実際に現場で収穫体験をしながらアイディエーションしたり、 提言のプロセスにしっかり関わっています。

先日、この2年間の取り組みが評価されて、ついに県の委託事業に選ばれました。予算もついて、さらに活動を広げていけることに。教える・教わるという関係ではなく、地域の課題に一緒になって向き合う、そんなプロジェクトなんです。


──  どちらもとても興味深いですね。成功したら、他の地域にとってもモデルとして役に立つプロジェクトになりそうです。その中で、濱上さんご自身はどんなふうに学生と接していますか?


濱上: オフィシャルには週に2回、放課後の時間に学校に行って、富士通奨学生たちとディスカッションしています。それ以外にも、富士通社内のモビリティ担当、農業担当など、様々な領域を担当している人たちとのディスカッションの場をつくります。他にも、行政や街で活動している農家さんと話をしたり。そうした活動はずっと行っていますね。また週に1回、様々な情報を学生とシェアする機会も持っています。


── ちなみに、それは「ディスカッション」ですか?「対話」ですか? というのも、インターミディエイターは「対話」を重視しているものですから、ディスカッションと対話は、また少し違うのでお伺いしてみました。


濱上: 結論や正解へ導く議論とは違う、立場を超えて価値観を尊重しながら進める「対話」をしてきています。学生には富士通と一緒にやりたいことがたくさんあって、それ以外にもやりたいこともあるので、学生の考えを聞きながら、こちらのやりたいことも話しながら、違う価値観を一緒のテーブルに出して活動してきたので。そうですね、議論やディスカッションというよりも、より対話的な場をつくってきていますよね。


── 神山まるごと高専を担当されることになって、徳島市内から神山町に居を移されたのですよね。


濱上: 神山のプロジェクトに関わると決まったとき、徳島市に3年間住んでいたんですが、”これは通うだけじゃダメだな”と思って、移住を決めました。やっぱり、地域のイシューに本気で向き合うなら、同じ目線に立たないといけないと思ったんです。

実際、移住には1年半かかりましたが、いい大家さんにも恵まれて、神山町民になれました。住所も変えて、町の人たちと同じ立場で活動するようになってからは、関係も深まりましたし、活動の幅もぐっと広がった実感があります。「住む」って、やっぱり大きいですね。



「地域イノベーション」にかける情熱


── ところで、有資格のインターミディエイターは、おのおのが様々な分野で活動していらっしゃいます。その中で、濱上さんは「イノベーション」に強い思い入れがある方のお一人ではないかと思っているのですが、「地域イノベーション」について、今、どのようなイメージを持っていますか?


濱上: 「イノベーション」って、技術革新と訳されがちですが、「異質なものの組み合わせ」だと思っています。異なるもの同士が交わることで、新しい価値が生まれる。そういう意味では、神山町ってすごく可能性がある場所だなと感じています。東京にいた頃よりも、神山に来てからのほうが、多様な人たちと出会える確率が圧倒的に高いんですよ。農家さん、林業の方、警察の方…。東京ではなかなか接点がなかった人たちと、日常的に話す機会があります。田舎だからこそ、こういう出会いが自然にあるんですね。人口は少ないですが、多様性はすごい。だからこそ、イノベーションが生まれる確率は、むしろ地域のほうが高いんじゃないかと考えています。もちろん都会でもできるとは思いますが、神山のような場所のほうが、面白い組み合わせが起きやすいんですよね。

徳島県神山町、雨乞いの滝

── インターミディエイターの学びの中で、「多様性×対話=イノベーション」(Diversity x Dilaogue = Innovation , ”2つのD”)ということがありますが、濱上さんの周りで起きていることそのもののようですね。


濱上: 神山町だけでなく、徳島市内の「びっくり日曜市」でも、面白い出会いがたくさんありました。名前の通り、ほんとに“びっくり”するような市場なんですよ。昔は「盗人市場」なんて呼ばれていたとか。農産物から謎のガラクタと思われるものまで、何でも置いてあるんです。アジアっぽい空気感もあって、ご高齢の方が多いんですが、売る人も買う人も、コーヒー飲んでいる人も、みんなが自然に会話している空間です。ああいう市場って、なかなかないですよね。

僕も毎週のように通っていました。あるとき、「対話しませんか」って看板を出して、喫茶店を出している方の一角を借りて話せる場をつくりました。僕もそこでたくさんの人と話しました。今は、その後を引き継いで雑談カフェという名前で続けてくれている方がいて、僕はお客さんとして通っています。


──  そこでの対話からも、新しい関係が生まれましたか?


濱上: はい、そこに来ている人とともに、ジャズバンドを組んだんですよね。僕自身は全くの初めてなのですが、ウッドベースを習い始めて、ライブを行ったりしています。5月には、学生が映画祭を神山町でやるときに、そこでちょっと演奏させてもらったり(笑)。


富士通の濱上隆道さんが徳島でバンドを結成


関わりを深め、抱いていた「地域」へのイメージが一変。


──  2020年に会社の辞令で徳島に行かれたわけですが、様々な活動を経て、地域に対するイメージは変わりましたか?


濱上: 東京での29年間、営業部門にいたときには、“日本は東京中心に動いている”と思い込んでいました。ビジネスの規模も人口も大きいし、僕自身も田舎出身ながら、東京での生活が長かったせいで、そういう価値観になっていました。でも、徳島に来てみたら、人々は優しいし、食べ物は美味しいし、何より色々な人たちと自然に出会えるんですね。東京では味わえなかった豊かさが、ここにはあるなと実感して、ガラッと見方が変わりました。今は単身赴任で、月に2〜3回は横浜の自宅に帰って家族と過ごしています。二拠点生活は両方を体験できるから、いい環境だと思っています。


──  そうした活動を経て、今、濱上さんのご関心は、どういったところに向いていますか?


濱上: そうですね。この2年間、学生たちと一緒にいろんなプロジェクトをやってきて、そこにすごく可能性を感じています。彼らがこれからの社会を担っていくわけですから、今のイシューに一緒に取り組むことって、すごく未来志向なんですよね。しかも、この場が、大人の側も学びの場になっています。こういう関係って、もっといろんな場所で必要なんじゃないかなと思っています。会社にいるだけではなかなか経験できないことなので、「どうすればこういう場が広がるんだろう?」ということを、整理しているところです。うまく言葉にできていない部分もあるんですけど、そういうことにチャレンジしてみたいなと思っています。


── 今日は「インターミディエイター・プログラム」主催のインタビューです。この「インターミディエイター」というのは、人と人、地域と地域、行政と市民など、あいだが切れているものを対話と協働で結んでいって、そこから次の展開を創りだす新しい役割です。このインターミディエイターの考え方や学びが、徳島に行かれてからの濱上さんに役に立った実感がありますか?


濱上: はい、まず考え方そのものが、すごく僕の中では役に立っています。二項対立を超えていくことや、リーダー・フォロワー論の限界を理解して行動すること。フラットな組織づくりや、言葉を大事にすること。たとえば、戦略とかターゲットなどの戦争用語は使わず、対話や協働といった言葉をビジネスの中でも使っていくこと。そうしたことが、僕の中では大事なことだと考え、今も大切にしています。あとは、こういったことを一緒にやっている仲間の人たちと、月1回の交流や対話、年に1回のフォーラムを通して、様々なことも知れますし、多くの気づきもありますし。そういった場が定期的にあるというのもよいと思います。



言葉を大切に、学びあえる「Co-learningの場」をつくり続ける


──  濱上さんは、あいだを結びながら、新しい提案をして、イノベーションを起こしていく取り組みをなさっていますが、そういう仕事の中で、何か大切にしていらっしゃることは?


濱上: いくつかあるんですけども、ひとつは、言葉を大事にしたいと思っています。インターミディエイターの皆さんも、言葉を大事にされていますよね。例えば、社内で使っている言葉と、外で使う言葉というのは、同じでありたいと思っています。東京でやってきた29年間は、社内で使う言葉とお客様の前で使う言葉は違ったんですよね。2つ目に、僕は共に学ぶ場、「Co-learning」の場づくりをしています。そこでは、何かを教えてあげるとか、何かを一方的にテイクするではなくて、共に学ぶことができる場ができていくといいなと思っていて、「Co-learning」は大事にしている概念です。


──  初めて行った地域で、関係の網の目を広げていくということは容易ではないと思われます。濱上さんは、関係の網の目を初めての地域で広げていくときに、何かコツや、心がけていることがありますか?


濱上: ともすると、富士通の言葉を使おうとしてしまうんですけれども、それでは対立の関係をつくりかねないので、共通の言葉をできるだけ使おうとしました。インターミディエイター・プログラムの中で、僕もこれはすごく大事だなと思ったのは、「共感」からさらに一歩先に進んだ「視点交換」という言葉があるんです。「視点交換」は、ただ面白いねとか、いいね、と思うだけでなく、相手の立場になって考えてみること。できるだけそのようにしようと心がけています。


──  学生さんと接点が多いと思いますが、学生さんとのやりとりの中でも、「共感」を発揮して「視点交換」していこうということがありますか。


濱上: はい、そうしています。上から教えるのではないんです。15~ 6歳の方々と目線を合わせて一緒にやっていこうというスタイルですね。できるだけ一緒に会話しながら、一緒に気づいていくことをいろいろやりたいなと思っています。学校に行って一緒に給食を食べたり、時には腕相撲をしたり、時には楽器を一緒に演奏したり。他にも、依頼があれば土日にミーティングをしたりもします。徳島探検ツアーといって、藍染体験をしたり、様々なところを訪問したり、徳島という場所をできるだけ理解しようとしています。学生とともに、様々なところに行って、様々なことを感じて、様々なものを食べて、学生とシェアする体験も増やしています。



学生の学習環境を守り、企業側の原理を振りかざさない姿勢を持つ


── 目線を合わせるためにも、神山町に住むという決断と行動をされること、これはなかなか出来ることではないと感じます。


濱上: スポンサー企業が11社ありますが、神山町に担当が住んでいるのは私だけなんですよ。決してやりたくないのは、学生に企業のためにやることを強いること。企業のために、こういった学生になってほしいとリクエストするのは、僕は一切排除しています。これは企業の利益のための場ではなく、学生にとっての貴重な学びあいの場。だから、しっかり「学びの場」であるべきです。企業の原理や現代社会の常識で場をつくるのではなく、新しい学習環境だと言われている神山まるごと高専の場を、学校だからこそできることを大事にしたいと思っています。これについては、2年間ずっと考えてきました。


──  東京で過ごした29年もの製造業担当時代と比べて、濱上さんご自身が変わったなと思うところはありますか?


濱上: 当時は営業担当で、いかに商談をつくるか、いかに数字を担ぐかを、常に考えていました。ですので、考え方も、話し方も、変わったと思います。それは、使う言葉に気を付けていることも影響していますね。周りの方々からも、今までと異なることを本当にやっていますね、チャレンジしていますねと、声をかけていただきます。昔、製造業を担当していたころも、なにか新しいことをやろう、上司との新しい関係をつくっていこうと、結構チャレンジをしてきたほうなんですよ。ただ、これからのビジネス・パラダイムを知ることで、行動がずいぶんと変化しましたね。


──  お話をお伺いしていて、行動力がおありだなと思っていました。新しいことに積極的な姿勢が、次をつくりますね。


濱上: 後戻りをしないタイプなのかな(笑)


──  最後に、インターミディエイター講座やプログラムに参加してみようかと迷っている方へ、濱上さんからメッセージをいただけますか?


濱上:  興味を持った瞬間からチャンスは生まれていると思います。ぜひ積極的に、門を叩いてみてほしいなと思います。こうした話を聞いても興味がなかったら、遠いかもしれないですね。ただ、チャンスをつくるのは自分なので、チャンスをつくることを大事にしてほしいなと思います。


── ありがとうございます。チャンスをつくるのは自分自身だ、と。本当にそうですね。インターミディエイターは、未来にかけて、果敢に機会をつくっていく存在でありたいものです。今日はたくさんのお話をありがとうございました。


収録:2025/4/17

写真:後藤由加里、濱上隆道

ダイアログ、文:松原朋子




濱上隆道さんの物語



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