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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

  • 執筆者の写真インターミディエイター事務局

「あいだ」に入ると見えてくる地域の姿 ── 平田直大さんインタビュー[前編]

更新日:7月11日


平田直大さん(しまのわ代表、プロモーションうるま事業部長、インターミディエイター)


ビジネスを含め、およそ人間の共同社会は「関係の網の目」の中で成立しています。とりわけ、人間・機械・自然の協働は、人類共通の重要課題です。

 

だからこそ、その「あいだ」に立って、破壊され、毀損され、失われたリンクの数かずを修復、再生、再創造するモノやヒトが必要です。「あいだの知」を担う媒介役を 「インターミディエイター( intermediator )」といいます。誰かの上か前に立とうとする “ 強いリーダー ” ばかりを探し求める人にとっては、じつに見えにくいタイプの存在です。

 

本連載では、この「インターミディエイター」の考え方に通じるプロジェクトや展望をお持ちの方々をお招きし、お話をうかがっていきます。

 

第3回は、「インターミディエイター」(有資格者)として活躍する、平田直大さんです。



 

[プロフィール]

平田 直大さん


一般社団法人しまのわ 代表

一般社団法人プロモーションうるま 地域づくり事業部 事業部長

インターミディエイター

 

1984年神奈川県生まれ。大学卒業後都内の情報会社勤務を経て、大学時代の研究テーマであった「中山間地域の維持可能性」に関わりたいと2014年に沖縄に移住。地域活性・プロジェクトデザインを行う会社の役員を3年間務めた後、2017年に沖縄で独立、2023年より一般社団法人プロモーションうるまに参画し現在に至る。県と市町村、市町村と地域住民といった、県内の各主体者の「あいだを繋ぐ」事業領域で奮闘中。

 


── 最初に、平田さんは沖縄で活動していらっしゃいますが、沖縄に行ったきっかけや時期など、お伺いできますか。

 

平田: 大学生の頃から、サークル活動や大学の研究で、奄美や鹿児島の離島などによく来ていたんです。そこで特に離島の活性化に携わる方々、そしてある素敵な方にお会いしました。自分の生まれた故郷の島を、人生かけて盛り上げようとしている生き方に触れました。その時、すでに就職は決まっていたのですが、出会ったその方の生き方を思い続けていました。


就職して東京の会社で何年か働いていた時に、やはりその方向に行きたいと、あるウェブサイトで掲載されていた沖縄の求人を見て、興味を持ちました。その後、沖縄の会社に応募したのが、沖縄との出会いのきっかけでしたね。それが2011年のことで、移住するまでの2年半は、長期休みになると現地に行くなど、東京と沖縄のあいだを行ったり来たりするのを繰り返して、2014年に移住しました。それ以来、島を活性化していく仕事に携わっています。

 


── 平田さんには、ご自身のテーマがおありだとのことですね。

 

平田: はい、私がずっと掲げているのは、「島の自律の伴走者になる」ということ。“島(シマ)”というのは、沖縄の言葉だと、必ずしも離島を指す言葉ではないんですよ。地域のこと、仲間やコミュニティのことも含みます。ですので、例えば、例えば沖縄本島北部のローカルな地域も、“島”という中に含まれます。ジリツは、立つ方の自立ではなく、律する方の「自律」です。これはインターミディエイターの中でもしっかりと学ぶことですね。自ら律する地域活動に興味・関心があります。

 


── そうしたご関心のある平田さんは、今までに、どんなご活動をなさっていたのですか。現在は、具体的にどのようなお仕事やプロジェクトをお持ちですか。

 

平田: 沖縄での私の仕事は、小さな離島の観光人材育成プロジェクトから始まりました。最初に沖縄に来た時の会社で、まさに来たばかりのころなのに、いきなり自分の関心にどんぴしゃりの仕事ができるのかと驚きながら、やらせていただきました。2 年目には、沖縄県の仕事で、県内の移住定住促進事業を受託しました。人口減少に悩む地域をサポートするプロジェクトで、これもまさに自分のやりたいことでした。特定の島というだけではなく、県内の様々な地域に行けることも含めて、自分がこのために沖縄に来たのかと思うぐらいでした(笑)。当時の会社でそのプロジェクトを 2 年ほど中心になって運営しました。


またその会社では、No.2 ポジションもやらせていただきました。ただその会社に所属して 3 年目、会社で色々ありまして、会社自体から一旦全メンバーが離れる状況に。このときに「一般社団法人しまのわ」を立ち上げました。当初、独立という考えはなかったのですが、それまでお付き合いのあった県庁の方から、平田さんが今まで 2 年間やってきたのだから、自分で法人を作ったらいいのではないかと後押しいただいて、決断しました。


「しまのわ」という名前は、当時のメンバーたちが、名付けてくれました。平田さんは島と島をつなげる仕事をしたいと思っているのだから、「しまのわ」がいいんじゃないと。

 


── プロジェクト仲間からもらった名前だったのですね。

 

平田: そうなんです。島と島を繋げて、それぞれが律する。“立つ”という漢字を使ってしまうと、ジリツは、孤立に近いイメージです。一方、“律する”ということ自体は、自分の心の動きですよね。孤立しているのではなく、つながっていくことも同時に大事な要素かと考えています。そもそも小さな島同士なので、つながっていくことが重要だと思いますし、自分がそれらをつなげていく人になっていくという意味でも、「しまのわ」という名は体を表すというか、そうなりたい思いがあります。


ただ、自分ひとりの法人ですので、規模の大きな仕事はなかなかできません。ですので、県内外の様々な方にご協力いただいて、仕事をしてきました。その中でも、沖縄県内のうるま市で、地域づくりを得意とするプロモーションうるまという団体との連携でプロジェクトを実施することが多かったんです。その関係で、うちに入らないかとお誘いを受けて、現在は、しまのわは残しつつ、プロモーションうるまのメンバーとして活動しています。


移住プロジェクトは引き続き行いつつ、新しい取り組みとして、県内の共創型ワーケーションにも挑戦しています。これは長期滞在型で地域課題を解決していく、いわゆる「関係人口」にあたる人たちを、どうやったら育めるのかをテーマにしたプロジェクト。また昨年までは県域での事業ばかりを担当していましたが、今年からは、プロモーションうるまがあるうるま市に根付いた事業についてもマネジメントする立場にもなってきています。

 


── 発展的に、さまざまなプロジェクトへ幅を広げてらっしゃるのですね。そういう中、「インターミディエイター」という概念に出会われて、ご自身の「島の自律の伴走者になる」という考え方とも合致する部分が多いのでは?

 

平田: そうですね。初めてこの考え方に出会ったのが、最初に沖縄で参加した会社の時でした。当時の社長が、考え方に出会って、これを社内で広めていこうと。あいだに入ることを色々な事業でかなりやってきていたので、インターミディエイターの考え方は自分の仕事をまさに表している、肝心の部分だなと思いました。


よく私たちのような役割を、地域コーディネーターと呼びますが、コーディネート自体に果たしてどういう価値があるのかを悩むメンバーもいました。コーディネーターではなく、自分がプレイヤーとしてやっていきたいメンバーもいて、当時全員が全員100%納得していたわけではなかったと思います。


ただ、自分自身としては、“自分の”お店を持つとか、“自分で”なにか商売をしていくとか、“自分”が強い主語になることをやるよりも、人々の「あいだ」に入っていくことで、プレイヤーとしてやりたい人や、何かを目指して頑張りたい人が、より励まされて、よりアクティブになっていくことに、やりがいを感じていたんです。


インターミディエイターのお話を聞きながら、まさに自分がやっていることが、インターミディエイター的な活動だということをずっと思っていました。こういうやり方が価値を生むし、価値を生もうとすればできることなんだな、という勇気を与えられました。ですので、その会社が解散をした後も、インターミディエイターの学びを続けています。

 


── インターミディエイターは、まさに伴走者のイメージと重なりますね。

 

平田: そうですね。私自身がどこかの離島に移住をしているわけではないのですね。今は、沖縄の那覇という都会に住んでいます。どこかの島に住んで、ここの島でやっていくんだと決めた人のようには、自分はなれない。でも彼らが悩むことや、彼らがサポートしてほしいことが多くあることが、活動の中で見えてきました。


ですので、まさにそれは「自律の伴走」という言葉がぴったりくるんですよ。自分では意義がある活動だと思っています。それをインターミディエイターの考え方は、学問的にというか、アカデミックにきちんと裏付けしてくれたような、そんな感じがありましたね。

 


── 平田さんご自身が、まさに「あいだ」に住んでいる、「あいだ」の存在なのかと思いましたが。

 

平田: うーん、どうでしょう。確かに、どちらかに肩入れしすぎていない、という状況は常にあると思います。私の場合、何々島で何々をしている平田さんです、みたいなことや、逆に、東京のど真ん中で最先端の仕事している平田さんです、ということでもない。


というのも、どちらも自分の中では、あまり居心地が良くない表現なんです。どちらか両極端ではない立ち位置だからこそ、自分自身の立ち位置に価値があるように思います。

しかも、自分自身が負担を感じずに、違和感なく、いることができるんですよ。それが「あいだ」だとすれば、私はあいだにいるのだと思います。自分自身の性格的にも、常に昔からそうだったのだと(笑)。

 


── むしろ、色々な領域が重なり合うところにいらっしゃる印象ですね。

 

平田: 今まで学んできたことを考えても、学際的なことの方に興味があったり、マージナルな部分や、中間領域の方が、自分自身が興味を常に抱きやすいです。沖縄にいても、現地の人になりきろうと思ってなりきれるものじゃないなって、やはり思うんですよね。あえて自分があいだを取ることは、確かに多いかもしれないですね。

 


── なるほど。そういう平田さんの立ち位置だからこそ、沖縄という地域で発揮されることがあるのではないでしょうか。どっぷりどちらかにいるよりも、あいだの立ち位置を取られていることがユニークで、フレキシブルにいろいろな情報が入ってくるのでは?

 

平田: 実際にはそうですね。例えば、あっちの島ではこうだよとか、人はあんなことしているというような情報が入ります。ただ、内部にいすぎると、なぜそうなっているのかが、見えなくなることがあります。誰々がどうした、誰々さんがこうだから、だけでなく、もう少し俯瞰的に考えると見えてくる地域の姿があって。


今の社会構造ってこうなっているよねとか、人口動態ってこうこうこうだからこうだよね、など、少し冷静な目で地域の実情を見ることもできます。ですが、その一方で、沖縄の文化や地域の文化、そして、それこそもっと細かい誰々さんの感情までも、理解できる局面もあります。この立ち位置だからこそ、色々な角度から物事が見えますね。



 ── そのように、地域をクローズアップして物事をより具体的に見たり、俯瞰して抽象的に見たりと、具体と抽象の行き来をされているのですね。設樂先生がいつも、これができることは極めて重要だとおっしゃいます。





(2024/5/17, ダイアログと文:松原朋子)

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