青年会議所活動でのインターミディエイター的学び

最終更新: 2019年1月16日

中川桐子 セレクトライン代表

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活動が生んだ多様なメンバーとのつながり


 1995年、長患いの母の容態が安定し、仕事に復帰した先は、旅館業のマネージャーという仕事だった。30代前半、やる気は空回り。上司との衝突など、就任後1年で、トラブルメーカーとなっていた私は、地元の青年会議所(JC)への参加を社長から指示される。少し前まで、女性を受け入れるかどうか議論されることもあったということだが、当時のJCは、ちょうど女性会員獲得に乗り出したころだった。サービス業の会員も多く、フランクな会員関係をつくっていた地元JCは、30周年の節目の年に2人目の女性会員を入会させた。私は、理念に基づいていたJC活動が好きになり、まじめに取り組んだ。しかし、OBにはコンパニオンに間違われるし、冗談で男性会員との良縁を勧められたりするなど、まだまだ女性にとっての壁は厚く、居場所なく活動に参加していた。

  

 一つのきっかけがやってきたのは、96年のことだった。JC 30周年記念の「FM KIRI」事業だった。地元の海水浴場で、自主的なミニFM放送するというものだ。その事業に自分の名前が冠され、事業への参加の道がつけられた。新しい技術、真剣な議論、地域への関与、PC(当時WINDOWS 97普及途上)などなど、すべてが目からうろこの活動で、実現のために、さまざまなメンバーが得意分野で関わっていた。仕事以外のすべての時間を事業のために活用した数か月で、私はやっとメンバーになれた。その後、長い入院後の母の逝去や各年度のJC内での役割などを経て、職場でのマネジメントもうまくこなせる「迫力」が身についていった。




第36代理事長となる~インターミディエイター的理事長~


 40歳の時、ついに「理事長」の役割が回ってきた。地元JC初、県内3人目(同年2名)の女性理事長である。長になるということは、いろんな新しい面を見せてくれる。JCは、個性のるつぼである。また、一定の条件と、宣言による目的を同じくする仲間であるが、参加するメンバーの、参加形態、好み、こだわりはさまざまである。みな、「へんこつ」なのだ。心の中で「メンバーを束ねるなんてできるはずもないよ~」、「やりたい事業をやっていいんだよといわれても!」と叫びながら絞り出した私のやり方は、前代未聞の「次年度事業企画大プレゼン大会」を開催し、皆の評決で事業を決めることだった。期せずして、メンバーのエンゲイジメント能力を引き出す機会を作ったのである。


 そこで出たのが、「光のまちづくりイルミネーション事業」だ。「マジ~??」と、心で叫びながらも、「やりましょう!!」というJCの精神を発揮した。日亜化学から青や緑のLEDチップを寄付してもらい、メンバー全員、見たことがなかったLEDチップをつなげるために、各自のポテンシャルを総動員で、獅子奮迅。冬には、小さな公園を飾るLEDイルミネーションが実現した。その後、それは市の事業となり、シナジーテック株式会社の事業へとつながるきっかけになった。


 そして、理事長のもう一つの大きな仕事が、次年度理事長選出だ。バトンを渡したい候補者は3名いたが、事業の拡大、結婚など、それぞれ諸事情あり、来年は難しい、と個々に返答してきた。最後の手段として、候補者全員と役員が集まる場をつくり、3人全員に来年は無理な理由を話してもらい、結論なく解散してみた。10日ほどして、そのうちの一人から、「僕、来年がんばってみるよ」と返事があり、次年度理事長が決定した。これは、意識的に私のエンゲイジメント能力が発揮された出来事だ。場が、彼らの参加・関与をうながすことにつながった。



2003年直前理事長として、他者へのインターミディエイター的実践活動


 理事長職を終えた翌年、地元の小さな町の町長選挙が行われた。1999年から「公開討論会」事業に取り組んでいた私たちは、公開討論会の開催を決定した。真剣勝負の選挙に関わる怖さはあったが、今までの先輩たちの取り組みを無下にはできない状況だった。今では当たり前に開催される公開討論会だが、当時はまだまだ周知されていなかった。私たちはファシリテーターとして各陣営に説明にいき、公平な主張の場であり、町民に各候補者の主張を聴き比べていただく場であることをご理解いただくことに奔走した。結果、候補者全員参加で開催することができた。それを実現できたことは、今も誇りに思っている。



JCで学んだ「インターミディエイター」的スタンス


2002年JC理事長時代に「ふれあい花見祭り」を開催した牛岐城址公園

 JCは、自分たちの会費をもとに、自分たちの理念を実現するための事業を自主的に行っている。その時間も内容もすべて自己負担で、まちづくり、ひとづくりに取り組んでいる。能動的な人が多い場だからこそ、人々のあいだをつなぎ、ポテンシャルを引き出しながら、事業を展開する「インターミディエイター的行動」がとりやすく、その効果もいち早く可視化され、自己の成功イメージをつくる学びの場となった、と今は思っている。




活動分野:青年会議所活動を通じた地域の結び目づくり

発揮したインターミディエイターのマインドセット:

☑3分法思考/多元的思考

☑エンパシー能力

☑多様性・複雑性の許容

☑エンゲイジメント能力

☑エンパワリング能力

☑対話能力

☑物語り能力


Certified Intermediator


中川桐子

スモールビジネスサポーター

セレクトライン代表

1995年、津峯観光株式会社勤務時に、地元である阿南青年会議所に入会。ひとづくり、まちづくり事業に、取り組む。2002年、社団法人阿南青年会議所 第36代理事長に就任。その後、国や徳島県、阿南市などの委員を歴任。

2011年、東京に拠点を置き、徳島県のサテライトオフィス事業に関わる。2016年、徳島に戻り、徳島県の女性起業家支援事業に携わる。現在は、管理、経理、PCのサポートなどの自営業者のビジネスサポートを中心に、人と人とのマッチングによるビジネスマリアージュに取り組んでいる。





Editor

福田 容子

「インターミディエイター」は設樂剛事務所の登録商標です

©  SHIDARA & ARCHIPELAGOs  2015

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