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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

  • 執筆者の写真インターミディエイター事務局

私たちが再び自由にうたい合うために Polyphony #9 イベント・レポート


楽団

私たち人間は、太古の昔から「表現」をしてきました。獲物を仕留めたことを祝って歌い踊ったり、洞窟の壁に指で絵を描いてみたり、自分たちの肉体をつかった素朴な表現こそが世界とかかわりあう方法だったのだと思います。

そこから今日に至るまで、世界とかかわる技術は高度化・複雑化していきました。音楽家や画家など芸術家と呼ばれる人たちも登場し、土から魔法のように花を咲かせ、実をつけさせる園芸家や農家なども職業となっていきました。これらの技術は、もともと人々が豊かな時間や空間を共有するための知恵と工夫であったはずです。しかし、社会や経済の規模が大きくなると、芸術鑑賞の「お作法」が増え、土いじりでさえも「私には技術がないからできない」と、それらの行為から遠ざけられてしまう人が出てきてしまいました。

もともとは誰もが歌い、誰もが花と戯れていたはず。いま、私たちが、自由にうたい合うためには何が必要とされているのでしょうか。

「あいだ」の知の担い手として、さまざまな領域で実践を続ける「インターミディエイター」たちとともに、これからの協働社会を描くダイアログ第9回。今回は、多様な人々が参加できる場づくりをテーマに、「コミュニティ・ガーデン」を全国に広げている木村智子さんと、音と言葉によって「場」の編集にかかわる作曲家・編集者の上杉公志さんをお招きしてダイアログをおこないました。ナビゲーターは、株式会社閒(あわい)代表の鈴木悠平さんです。

40名を超える参加者のみなさんが、チャット欄に「今日の気分」や「好きな時間」などを書き込み、和気あいあいとした空気のなかで、ダイアログが始まりました。


2023年4月6日に、インターミディエイター3人によるダイアログ・イベントPolyponyを開催。鈴木悠平、木村智子、上杉公志

table of contents



Polyphonyが響く場を目指して


鈴木悠平さん:

このダイアログは「Polyphony(ポリフォニー)」と名付けられています。ポリフォニーとは多声的という意味です。「poly」という接頭語は「多くの」という意味をもちます。この場で、それぞれが違う旋律を奏でながらも響き合うようなセッションが生まれると良いなと思い、この言葉をタイトルに添えています。

鈴木悠平さん

今日のスピーカーおふたりは、それぞれ音楽やガーデンづくりを生業としておられます。歌ったり、土をいじったりすることは、本来、資格が必要なものではなく誰だってできる活動です。でも社会が発展していくなかで、だんだんと状況が変わってきました。「みんなの場」だった公園にたくさんのルールが追加されて活動が制限されてしまったり、音楽を奏でたいと思っても「プロじゃないから」と気後れしてしまったり……。一人ひとりがそれぞれに思いを「表現」をして「関わり合う」ということのハードルが、さまざまな要因で上がってしまうことがあります。


今日は、もともとみんなに開かれていた行為を、ふたたびみんなで楽しむための方法を、おふたりの実践から考えたいと思っています。



公園は「屋根のない公民館」


木村智子さん:

みなさんは、公園や花壇についてどんなイメージをお持ちでしょうか。「公園はつまらない場所」「花壇は花を育てるだけの場所」って思っているかもしれません。でも私はもっと大きな可能性を感じていて、これらの場所がみんなの笑顔をつくれる居心地のよい場になってほしいと願って活動しています。


コミュニティ・ガーデンの木村智子さん

私は実家が花屋だったこともあり、大学では造園学科に進み、卒業後は公園の設計会社に就職。その後、夫の仕事に帯同して5年間住んだシンガポールで、生物多様性や熱帯雨林を守ることの重要性に気づきました。いまは、公園づくりを通じて「地球を持続可能な場所にしたい」という思いで活動しています。いまは独立して、行政や市民の方から「公園や空き地を使いたいけれど、どうしたらいい?」というご相談を受けて「コミュニティ・ガーデン」をつくることを主な仕事にしています。


「コミュニティ・ガーデン」って聞き慣れない言葉かもしれませんが、これは「地域のみんなにとっての庭」のようなものです。どんな大きさであっても、どんな場所であっても、地域のみんなで一緒に考えて、一緒につくって一緒に活動し、その時間を通して仲間の笑顔が生まれる場を、私たちは「コミュニティ・ガーデン」と呼んでいます。


私は、日本全国の公園すべてがコミュニティ・ガーデンのような場所になったらいいなあと思っています。公園って、いわば「屋根のない公民館」なんですよね。ですから、たんに公園というハコがあるだけでは不十分で、市民が公園の管理に参加関与していくことが重要です。そのために、公園がオープンする前から「どんな公園にしたいか」と市民のみなさんの声を聞くなど、公園づくりのプロセスからサポートしています。「みどりのインターミディエイター」とみずから名乗っています。



ゲーム音楽は「音楽」ではないの?


上杉公志さん:

上杉公志さん

私は、フリーランスの編集者、作曲家として活動しています。作曲家の側面についてご紹介すると、私はいわゆるクラシック系の音楽大学で作曲を学んできました。これまでの音楽活動としては、たとえば絵本の読み聞かせとともに流すBGMや、野口雨情さんや吉増剛造さんの詩による歌曲や合唱曲、プリンセス プリンセスの「M」という曲の合唱への編曲などの作編曲を行なってきています。


音楽に興味をもったきっかけは、8歳のときに姉がくれたCDでした。「イースII」という1988年に発売されたPC用のゲーム作品のサウンドトラックです。そのCDにはかんたんな楽譜も添えられていたので、当時は夢中でピアノで弾いていました。モニター越しに感じていたゲームの世界観が、自分の指で再現できることが単純に嬉しくて仕方がなかったのですね。聴絵を描いて遊ぶ人がいるように、その頃から五線紙に曲を書いて遊ぶようになりました。

ただ、音楽大学に進んでちょっとした違和感を覚えることがありました。大学でならいろいろな音楽を学び、表現できると思っていましたが、そこで学ぶのはいわゆる「純音楽」。あえて極端にいえば、コンサート・ホールに行って、音楽そのものを視聴することを目的とするような、音楽そのものが主役になるような音楽だったんです。当時の私にとって身近だったのは、映像など他のメディアに寄り添うゲーム音楽や映画音楽だったので、「純音楽だけが音楽だ」という大学の当たり前にうまく馴染むことができませんでした。他にも音楽にはいろいろなあり方があっていいんじゃないかと思っていましたから。

とはいえ、大学で学ぶ中で、純粋に音楽を楽しむ場ならではの魅力があることもわかってきました。一方で、多くの方々にとって、クラシックの演奏会って堅苦しいイメージがありませんか? 「どんな服を着ていったらいいの?」とか「いつ拍手するの?」とか、敷居を高く感じていらっしゃる方も少なくないと思います。そこで、私は友人の作曲家と一緒に、2022年の冬に、従来のコンサートとはすこし異なる「 La Portée 」という演奏会を企画しました。詳しくは、のちほどお話します。


クラシック音楽の演奏会を自由に楽しんでもらうために


鈴木さん:

小さいころは、とても自由に歌って踊れたはずなのに、大人になってコンサートに行くとなるとちょっと身体がこわばってしまいますよね。上杉さんは、自由に楽しんでもらうためにどんな工夫をしたんでしょうか。


上杉さん:

「 La Portée 」の公演では2つの工夫をしてみました。ひとつは多様なプログラムにすることです。今回は9名の作曲家に新曲を委嘱し、それを披露しました。9名の作曲家は、学生さんでも親しみやすい楽曲から現代音楽っぽいものまで、さまざまなスタイルをもつ方々でした。いわゆる純音楽でもいろいろな音楽があることを楽しんでもらえたら嬉しいなと考えたのです。


もうひとつは、「プレトーク」の試みです。クラシック音楽の演奏会では、言葉で楽しみ方を説明される機会は、一部を除いてほとんどありませんが、演奏が始まる前に演奏者と作曲者での対話形式によるトークの時間を設けました。そのときに、今回演奏される曲がそれぞれ多様なスタイルで、それぞれに魅力があることを言葉で伝えたんです。「演奏会もビュッフェで味見をするように楽しんでもらいたい」とか「わからなさも込みで、楽しんでください」というメッセージをお届けしました。


演奏会のあと、個別に連絡を取って、10名ほどの来場者の方に感想を聞いてみました。そうしたら一人ひとりが私の想像を超える楽しみ方をなさっていたんですよね。「自分の吹奏楽部時代のことを思い出した」とか「息子が打楽器にすごく喜んでいた」とか、あるいは音楽だけでなくプログラムや服装を観察して作曲家の人柄に想像を膨らませている方もいました。


もともと私たちは、「より自由に多様な音楽を“鑑賞”してほしい」ということを考えていたんですが、実際には自分たちがお膳立てする以上の「音楽“体験”」をみなさんがなさっていたころに大きな驚きと学びがありました。



必要なのは、「あたりまえ」を言語化すること


鈴木さん:

鈴木悠平さん

なるほど。プレワークやプログラムの工夫も見事ですが、参加者の方が、企画した上杉さんの想像を超えるような楽しみ方をしていたというのはおもしろいですねえ。

木村さんがサポートしているコミュニティ・ガーデンでも、多様なバックグラウンドの人たちが関わりますよね。パッと参加できる人もいれば、遠巻きに見ている人もいると思うのですが、それぞれが多様な関与をするためにどんな工夫をされていますか。

木村さん:

コーディネーターのような役割の人を置くのが必要だと思っています。ガーデンづくりでよくあるのが、「良かれと思ってやったこと」から生まれるトラブルなんですよね。自分の家にある植物を良かれと思ってコミュニティ・ガーデンに植えたんだけど、それによってみんなが困っちゃう、とか。ですから、私たちは最初に最低限のルールをみなさんにお伝えしてするようにしています「植物を植えたい場合は、ヘッド・ガーデナーにまず相談してください」って。

鈴木さん:

みんなでつくる場が、「良かれと思って」というひとりの行動で台無しになってしまうのは残念ですものね。植物も相性があるでしょうから。

木村さん:

木村智子さん

植物もそうですが、人がたくさん集まると、何かしらモヤモヤが出てくるのは当然なんです。なので、そういうケースも想定して「モヤモヤがあったら、コーディネーターに教えてね」ともお伝えしています。誰もが安心していられる場をつくるためには、一定のルールが必要ですよね。


上杉さん:

木村さんのお話を聞いて「あたりまえを言葉にする」のが大事だと思いました。人は自分がよく知らない分野だと、暗黙のルールがわからなくて戸惑うんですよね。

たとえば、クラシック音楽でいえば「難しくても聴かなきゃ」って思ってしまう。そこで私たちは演奏会のプレトークで「ビュッフェみたいに味見して」とか「わからなさも楽しんで」という言葉を用いました。あえて言葉にすることで、自由な音楽体験を促していけたらいいなと思っています。

一方で、私は作曲家に依頼するときに「わかりやすいようにしてほしい」とは言わないようにしました。「初心者向け」などといった言葉で発注してしまうと、音楽の多様性を削ってしまうおそれがあると考えたためです。

鈴木さん:

これは大事なことですね。音楽も庭づくりも、それぞれの楽しみ方があるけれど、だからといって味わいを薄めるということではないんですよね。事前のルール説明やアナウンスによって、関わり方の補助線を入れるという工夫ができるのだとわかりました。



仲間への信頼が、自由な場をつくる


鈴木さん:

そのうえで、お二人には「来てくれる人を信頼する」という姿勢が共通しているように感じました。音楽や庭づくりなど、長く続けてきた人が培った技術や視点を大事にしつつ、初めての人も参加しやすいような枠組みをつくっているようです。


木村さん:

そうですね。東京国立にある知的障がい者施設「滝乃川学園」で行っているコミュニティ・ガーデンの場合は、ボランティアの中に、役割分担としてコーディネーターとヘッド・ガーデナーが2名ずついます。2名というのは、誰かがひとりで背負わなくていいようにという考えからです。ボランティアでできる範囲で、そしてその人が得意なことで関わる。そうすると「楽しい」範囲で関わりやすくなります。そんなことを続けてきて、それぞれの人の「これ、やりたい!」をみんなで実現することで、場がより楽しくなるということを実感してきました。そんなわけで、さらに自由で楽しい場になってきています。


滝乃川学園のガーデン作りに際して作成したイメージ図
木村智子さんが滝乃川学園のガーデンづくりの前に、ボランティアみなで作成したイメージ図

鈴木さん:

木村さんひとりがリーダーとして引っ張るわけではなくて、コーディネーターやヘッド・ガーデナーなどいろいろな立場の人が役割を担えるようにしているんですね。

木村さん:

もちろん、そこに至るまでの話し合いなどでは、けっこうきつい意見も出てきます。でも、コミュニティ・ガーデンづくりで面白いのは、花が咲いたり、虫が飛んできたりするのを見ると、一気に空気がやわらかくなるんです。これはほんとうに不思議なことです。





制約から生まれる「第3の選択肢」を目指して


木村さん:

私はコミュニティ・ガーデンづくりに長く関わっていますが、自分がやりたいことをできると、みんな子どもみたいな笑顔になるんですよね。その笑顔がすごくいいのです。

もちろん公園は公共のもの。近隣の人たちのご都合も考慮しないといけないから、できないことは多いです。でも、それをクリアするための知恵をみんなで話し合っていく過程こそがおもしろいのですよね。

たとえば、公園って火を使ってはいけないところが多いです。でも、火を使いたいという希望が市民から出てくることもあります。そういう場合、どうしたらいいのでしょうか。話し合いのなかで、「かまどベンチを提案してはどうか」というアイデアが出たことがありました。これは、一見、ふつうのベンチなのですが、座面をはずすと災害時などの炊き出しに使えるかまどに変えられるものなんです。


鈴木さん:

制約はつねにあるけれど、それって必ずしも「悪いこと」ではないんですよね。その前提をうまくつかえば、第3の選択肢が生まれるかもしれません。

上杉さん:

今回の演奏会でも似たようなケースがありました。通常、金管五重奏といえばトランペット2本、ホルン、トロンボーン、チューバという編成です。ですが、演奏をお願いしている団体から、「ホルンではなくてユーフォニアムという別の楽器を使う曲が欲しい」というリクエストがありました。このユーフォニアムは、吹奏楽ではメジャーな楽器ですが、少人数のアンサンブルの作品が限られているのが現状です。そうしたレパートリーを広げたいという意図もあったのだと思います。

上杉公志さん

この異例の編成が、やってみると響きも想像以上によかったんです。実は団員の出演バランスの面でのリクエストでもあったのですが、このような制約によって、新しいレパートリーが生まれるのだなと体感しました。通常からの「逸脱」を楽しめる間柄は心地がよいですね。

木村さん:

一般的に、「行政は融通がきかない」と思われているかもしれませんが、行政の方々だって、全部が全部考えなしに市民の提案を否定しているわけではありません。私は、どんな人でも「幸せになりたい」と願っている点では同じだと思うんです。そのような共通項を探して、どうやったら話し合いができるか、工夫していけるのがうれしいなと思います。

鈴木さん:

敵・味方、リーダー・フォロワー、管理者・受益者、行政・市民のような、わかりやすい2分法ではなくて、それぞれの立場でそれぞれの思いを尊重する。そういう動き方ができるのがインターミディエイターですね。


ダイアログを終えて


40名を超える参加者の方々は、随時チャットで感想を書き込みながら3名のダイアログを聞いていました。「音楽」と「公園づくり」という、まったく異なるフィールドで活動するおふたりでしたが、多様な人々の多様な参加・関与のしくみを用意する「場づくり」の工夫では、共通する部分も多くありました。一人ひとりを尊重することの大事さと、その具体的な方法がシェアされたひとときとなりました。



執筆:梅澤奈央

編集:鈴木悠平、松原朋子

企画:上杉公志、鈴木悠平、松原朋子


 

スピーカー・プロフィール


木村智子さん

有限会社スマイルプラス 取締役

ランドスケープアーキテクト&コミュニティガーデンコーディネーター。まちや公園、各種施設等でコミュニティづくりのための道筋を描き、人・まち・自然を紡いで「関わる人が自ら楽しみながらコミュニティを育む場」の実現をサポート。造園コンサルティング会社で公園緑地やURの外構計画設計に携わり独立。2002年よりシンガポール在。Singapore specialist tourist guide(自然分野)を取得。熱帯雨林や生物多様性等のガイドを務める。帰国後、2010年(有)フラワーセンター若草代表取締役 就任。2013年には浜松市にコミュニティカフェ「C-cafe」をオープン、2017年にはコミュニティデザインオフィス「スマイルプラス」設立。


上杉 公志さん

作曲家・編集者

幼少期に映画やゲーム音楽に感銘を受け作曲をはじめる。音楽大学在学中、音楽が扱われる「場」や「メディア」に関心をもつ。

業界団体や音楽企業にて、コンサート・講座の企画運営や留学カウンセリング業に従事したのち、音楽とかかわりの深い「ことば」の重要性を感じ、2019年に独立。

現在は作編曲のほか、(株)編集工学研究所のウェブメディア「遊刊エディスト」の編集・執筆や対話を通じたライターたちとの関係づくりなど、音とことばによる「あいだ」や「場」の編集に携わっている。


鈴木悠平さん

文筆家 / 株式会社閒 代表取締役

東日本大震災後の地域コミュニティの回復と仕事づくり、学ぶことや働くことに障害のある人や家族を支援する企業での現場支援や研究開発、メディア運営等を経験したのち独立、2020年に株式会社閒を設立。医療的ケアニーズや重度障害のある人たち、罪を犯して刑務所に入った人や出所した人たち、精神疾患や依存症のある人たちなどのリカバリーや自立生活に向けた支援に携わりながら、「生活を創造する」知と実践の創出・展開に取り組む。





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