伊藤 優 オフィス・アペゼ 代表
メンタル不調の診断を受けて痛感したこと
現在の日本では、職域でメンタル不調に陥る人が少なくありません。
令和2年度の厚生労働省「労働安全衛生調査」によると、令和元年11月から令和2年10月までの1年間で、メンタル不調により連続1か月以上休業または退職した労働者の割合は0.5%[1]。それ以外にも、休業・退職の手前で不調を抱えながら労働を継続している方が存在します。
私もメンタル不調の当事者でした。転職したばかりの会社で業務になじめず心身不調をきたし、会社に紹介されたクリニックで「うつ状態」との診断を受けた結果、3か月間休職することになりました。
不調が少し落ち着いた後も、“ビジネス・パーソンとしてキャリアを積む道は閉ざされたんだ”という焦りに苦しみました。けれども、常に混雑したクリニックの“5分診療”では、医師にそんな気持ちをじっくり話す余裕はありませんでした。
学生時代からメンタル・ヘルスには関心があり、転職前は不登校や引きこもり等で悩む若者を支援する会社で働いていたこともありました。自分自身が当事者となったことで改めて、「メンタル不調時に安心して頼れる場所の必要性」を痛感したのでした。
[1] 厚生労働省「令和2年 労働安全衛生調査」https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r02-46-50_gaikyo.pdf
Aさんの想いと力を引き出す「エンパワリング」
悶々としていた休職中、転職前に勤めていた会社の上司で医療系企業向けのコンサルティング会社を立ち上げたAさんが、心配して食事に誘ってくれました。
食事の場でAさんは、かねてより精神疾患を抱えた就労世代を取り巻く支援環境に問題意識があること、その問題意識に基づいて新規事業を立ち上げたいと考えていること、事業案が模索していることなどを話してくれました。
思わず「何かできることはありませんか?」と話したことがきっかけで、その新規事業をお手伝いすることになりました。
対話を重ねる中で、Aさんの問題意識や目指す社会のあり方を聴くと同時に、具体的な事業案を一緒に考えていきました。その過程で心がけていたのは、Aさん自身の想いと力を最大限に引き出すこと、つまり「エンパワリング」でした。
そして、プロジェクト開始から2か月程が経過した頃に出てきたのが「精神科の訪問看護」の枠組みを使い、メンタル不調に悩む方に訪問型のメンタルケアサービスを提供するというアイデアでした。
従来の「精神科の訪問看護」は、医療業界で「重篤な精神疾患をもつ患者さんのため、退院後の地域生活を支えるもの」と認識されていました。
しかし、従来の認識にとらわれず、メンタル不調に悩む就労世代の方々のために提供することで、対話による新しいメンタルケアの選択肢ができるのではないかと考えたのです。保険適用なので、金銭的な不安のある休職中・離職中の方にとって使いやすい価格でサービスが提供できる点もこの案のメリットでした。
粘り強い「対話」がアイデアを実現
訪問看護の開設には少なくとも3名の看護師が必要です。しかしながら、業界では常識外の事業構想に関心を持ち、サービスを一緒に作り上げてくれる看護師の方とどうしたら出会えるのか、見当もつきませんでした。
そんな中、何気なく参加した外部の勉強会で、精神科経験のある看護師Bさんと出会います。さらに後日、同じ会で知り合った人の紹介で精神科病院に勤務する看護師Cさんとも出会えたのです。
2人は就労世代の入院患者さんと病院で接する中で「もっと早い段階で予防的なケアができていればよかった」と悩んだ経験から、今回の事業構想に共感し、立ち上げの仲間に加わってくれることになりました。
準備の過程で、SNSや人の紹介などを通じ、看護師をはじめ精神保健福祉士、産業保健師等、様々な場所で様々な人たちと出会いました。問題意識を同じくする人たち、20人を超える当事者の方々との対話を通じ、サービスのあるべき姿を模索していきました。
準備を進める中で、新たな困難も生じました。制度上、利用者が精神科訪問看護を利用する際は精神科医の「指示書」が必要であることから、精神科医によるサービスの理解・共感が不可欠でした。
しかし複数の精神科医から「看護師の仕事は医師の補助ではないか」「看護師にメンタルケアができるとは思えない」という声が挙がっていました。不安を感じつつも、一緒に準備を進めてきた看護師の皆さんなら、利用者さんときっとよい関係が築けるはずという確信のもと、対話を続ける中で、徐々にサービスに好意的な精神科医との出会いも増えていきました。
“当たり前”を超えた課題解決の可能性と楽しさ
2021年4月、無事に精神科訪問看護が開所され、現在では数十名の就労世代の方にご利用いただいています。利用者さん、様々な立場からサービスに関わる方との対話を通じ、よりよいサービスのあり方を模索し続けています。
「うつ状態」の診断から精神科訪問看護の開所までのプロセスは、一人ひとりの力を信頼し、引き出し、既存の“当たり前”を超えた課題解決の道を見出すために模索を重ねることの可能性と楽しさを教えてもらった経験でした。
◎関連リンク:
◎活動分野:したインターミディエイターのマインドセット:
□3分法思考/多元的思考
□エンパシー能力
□多様性・複雑性の許容
☑エンゲイジメント能力
☑エンパワリング能力
☑対話能力
□物語り能力
Certified Intermediator
伊藤 優
オフィス・アペゼ
都市銀行、福祉領域企業(人事・財務)、外資コンサルティング企業での勤務を経て独立。現在は、複数のスタートアップ企業の人事の伴走支援、海外ルーツの方向けの就労支援などに従事。原点にあるのは、大学4年次に滞在した西アフリカのトーゴで「精神的な豊かさ」の大切さを感じたこと。そして、自分自身がメンタルヘルス不調に悩んだ時期に、社会の中で安心して頼れる場所の必要性を実感したこと。「働くこと」のサポートを通じ、1人1人が心身ともに健康で、安心して生きられる社会を創ることを目指している。
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