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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

  • 執筆者の写真インターミディエイター事務局

住民と行政が手を取り、 前例のない公園づくりが始まった

更新日:2023年1月4日

木村智子 スマイルプラス代表


食い違う市と地域住民のあいだで


 室町時代から続く大庄屋の屋敷跡1.4ヘクタールが市に寄付され、寄付者の「地域に役立てて欲しい」との希望から公園になることになりました。市は公園の基本計画策定のため市民参加のワークショップを行うこととし、私はそのファシリテーターとして関わることになりました。


公園用地の正面。環濠跡の田んぼの後ろに屋敷林が見える

 公園予定地には母屋などの建物群、環濠跡や屋敷林など庄屋屋敷としてのたたずまいが残っていました。ですが、長年放置されたため傷みが激しく、蔵などは半分崩落していました。これを更地にして予算があまりかからない公園に…と考えていた行政。予算はかかるが屋敷跡を残し修復・活用したいと考える地域住民。両者のあいだに大きな意見の隔たりがあるのが当時の状況でした。


ワークショップで考えていく


 全5回のワークショップを構成するにあたって私が留意したのは「建物を残す残さないを議論するだけの場にはしない」ということでした。対象は文化施設ではあく、あくまでも公園。「公園としての機能をしっかりと発揮しながら、まちの活性にもつながっていく計画はどんなものか」について参加者がやりとりする中で、建物についての議論も展開されていくことをイメージしました。


 1回目のワークショップでは「公園で実現したいこと」について考えました。そこでは「歴史や文化を大切にする」という意見と同時に、「世代交流」や「防災」など公園としての通常の機能も期待されていることが明らかになりました。それまで地元との議論は、歴史という一点にフォーカスされがちでしたが、「市街化調整区域だったため今まで公園が無かった地域に、新しく1.4ヘクタールもの広さの公園ができる!」という価値にも焦点を当てる形になりました。


 3回目では「今あるものの中で次世代につないでいきたいもの」をテーマに、公園計画の中での大切なものの優先順位について議論をしました。その結果、環濠跡や屋敷門、屋敷林などの歴史の趣を伝える「たたづまい」はそのまま活かすことになりました。



不満が爆発しそうに


 ワークショップのメンバーは、PTA、子育て中のお母さん、自治会や防災組織の関係者、屋敷跡の保存に力を注いできた保存会、公募市民で構成される十数人でした。いろいろな立場の方から広く意見を聞くという目的のためでした。「話し合いの場に誰でも参加できるわけではない」という状況のかわりに、内容をおたよりにまとめ、市のホームページや回覧板で毎回公開し、いつでも誰でも行政(公園課)に電話やメールで意見できる形を作りました。


 保存会からは3人参加していましたが、全体の中では少数で、保存会の意見が必ずしもワークショップの結果とは同じにならないこともありました。そのため「アリバイ作りのためのワークショップだ」「行政の立場に寄り添った結果ありきの内容だ」などの強い批判の声が地元から聞こえてくるようになりました。


 このままワークショップを続けても、地域住民が納得できず、できあがる公園にももやもやしたものが残ってしまう。そう考え、行政と相談し、ワークショップとは別に保存会の方々と意見交換をする機会を作りました。


 たくさんの人が集まり、「歴史ある建物を修復するのは行政の役割でそれをやらないのは怠慢だ!」などの意見を数時間にわたって頂戴し、行政担当者からは行政として今できることとできないこと等の説明を丁寧にしていただきました。とにかく本音で言い合う時間が必要でした。



お互いに歩み寄って、現在へ、そして未来へ


 その後、少しずつ歩み寄ったやり取りができるようになっていきました。ワークショップはスムーズに進み、公園計画は無事に決定しました。懸案だった建物群については、傷みが激しく崩落の危険がある蔵・納屋は解体撤去、景観的にも利活用対象としてもとくにみなさんが大切と思われた母屋・離れ屋等は地元での修復・活用を前提として継続協議となり、すぐに解体撤去される危機は回避されました。


地元の子供達が喜ぶようにこいのぼりをあげています


 当初地元が望んでいた全て残すことはできませんでしたが、地域住民と行政が歩み寄り、お互いがある程度納得できる「あいだの結論」を探したという形になりました。ワークショップ終了とほぼ同時に、保存会メンバーがNPO法人を立ち上げました。これは嬉しい出来事でした。強く声を上げるだけでなく、社会的に認められていくために法人格の取得が必要と考え、みなさんが自ら動いたということだからです。


 ワークショップのファシリテーターとしてお引きうけした本プロジェクトは、結果としてそれを成功裏に導くために、単なる進行役を超えた役割を担うことになりました。住民と行政のあいだを結び、対話を通じて必要なアクションを都度柔軟に加えていき、関わる方々が納得できる新しい方向をご一緒に見いだしていくプロセスは、まさに「インターミディエイター」としての役割でした。


 ワークショップから2年半が過ぎた現在は、このNPO法人が中心となり、行政と協議を重ねながら公園の活用実験(子どもの遊び場としての一日オープンデーや高齢者の居場所づくり)や建物群再生の取り組みを続けています。



地元NPO法人代表のMさん。寄付箱を持って公園の活性化に取り組まれています



ワークショップで決まった公園のグランドデザイン

◆パートナーの声:行政担当者からのフィードバック

 今回のワークショップがスムーズに進み、結果的に公園計画がよい形でまとまったのは、木村さんのインターミディエイター力と、ランドスケープアーキテクトとしての公園に関する課題意識とビジョンによるところが大きかったと感じています。


 たしかに本音でぶつかる時間がなければ意見はまとまらなかったでしょう。でも、それだけではないというのが私の受け止めです。そこで出たみんなの意向を丁寧にすくい取り、引き受ける努力をしたこと。古き良きものを肯定しつつ、公園全体のコンセプトを「多世代交流の拠点」という言葉で明確に示したこと。それにより、住民の潜在的な思いをコンセプトとしてデザインに落とし込んで「絵」として表現することができました。古い建物群を残すことの意味が、単なる懐古主義ではなく、過去が未来につながる、歴史が紡がれていくという意味・意義を、明確に示されたことは大きかった。これがあったからこそ、建物群を残したい人も、残さないことを主張した市民も、皆、納得できました。


 それができたのは、インターミディエイターが「公園とは何か」の本質がわかっており、かつ、「これからの公園は地域の課題解決に役立つ社会装置になっていかなければならない」という問題意識とビジョンを持っていたからです。そして、行政と市民のどちらにも偏らず、公平な第三者の立場を貫きとおしたからです。だから両者が信頼を寄せるようになった。このことの意味は大きいです。


 こうしたベースのうえで、住民側は、市から建物群を譲り受け自ら資金を集める苦労をしてでも保存修復を目指す道を選びました。市側も、建物群を住民側に譲渡移管し活用できるようにするという過去に前例のない道を選びました。インターミディエイターがこの両者の選択(決断)を引き出すことができたからこその結果だったと言えるでしょう。



 

活動分野: 組織のエンパワメント

発揮したインターミディエイターのマインドセット:

☑3分法思考/多元的思考

☑エンパシー能力

☑多様性・複雑性の許容

☑エンゲイジメント能力

☑エンパワリング能力

☑対話能力

☑物語り能力

 

Certified Intermediator


木村 智子

スマイルプラス代表

ランドスケープアーキテクト&コミュニティガーデンコーディネーター。まちや公園、各種施設等でコミュニティづくりのための道筋を描き、人・まち・自然を紡いで「関わる人が自ら楽しみながらコミュニティを育む場」の実現をサポート。造園コンサルティング会社で公園緑地やURの外構計画設計に携わり独立。2002年よりシンガポール在。Singapore specialist tourist guide(自然分野)を取得。熱帯雨林や生物多様性等のガイドを務める。帰国後、2010年(有)フラワーセンター若草代表取締役 就任。2013年には浜松市にコミュニティカフェ「C-cafe」をオープン、2017年にはコミュニティデザインオフィス「スマイルプラス」設立。


スマイルプラス http://smileplus.ltd/

コミュニティカフェ「C-cafe」 http://ccafe.org/

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